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@ホエン・ノー・ワン・ケアズ
サミー・カーン(作詞)とジミー・ヴァン・ヒューゼン(作曲)のコンビがこのアルバムのため書いたオリジナルで、アルバム全体のムードを設定する役目を担っている。このコンビはほかにも「オンリー・ザ・ロンリー」「カム・フライ・ウィズ・ミー」「カム・ダンス・ウィズ・ミー」「リンガ・ディン・ディン」「セプテンバー・オブ・マイ・イヤーズ」といったシナトラのアルバムのタイトル曲を提供している。1959年5月14日録音。指揮はネルソン・リドル。
Aア・コテージ・フォー・セール
1930年にラリー・コンリーが作詞、ウィラード・ロビソンが作曲した失恋のバラードの名曲。1945年ビリー・エクスタインのナショナル盤がミリオンセラーになっている。ふたりが過ごした山荘をひとリ立ち去る時、楽しかった日々の想い出を一語一語かみしめるように歌う。まさに≪シナトラ=ストーリー・テラー≫の面目躍如。1959年3月26日録音。
Bストーミー・ウェザー
1933年にテッド・コーラーが作詞、ハロルド・アーレンが作曲し、エセル・ウォーターズがヒットさせた。1943年にはリナ・ホーンのビクター盤が大ヒットしている。シナトラはブルージーに歌い上げ、はけ口のないやるせなさを完壁なまでに表現している。1959年3月24日録音。1944年12月3日(コロンビア)、1984年5月17日(キューウェスト)にもレコーディングしている。
Cホエア・ドゥ・ユー・ゴー?
シナトラが尊敬する故アレック・ワイルダーが1958年に作った作品。変化をつけにくい難曲だが、シナトラはぐっとテンポをおとして正面から取り組んでいる。イントロとエンディングで強調されるベースが静寂にこだまする鼓動のようで、いっそうの孤独感をさそう。1959年3月26日録音。
Dア・ゴースト・オブ・ア・チャンス
1932年にビング・クロスビーとネッド・ワシントンが作詞、ヴィクター・ヤングが作曲したバラード。同年ビングのデッカ盤がヒットした。シナトラはあまさを漂わせながらもズバリ歌の核心に切リ込んでいく。後半の“I'm dreaming”のくだりにこの曲の心が凝縮されている。1959年3月24日録音。1945年12月7日コロンビアにも録音しているが、このキャピトル盤にはおよばない。
Eヒアズ・ザット・レイニー・デイ
1953年のミュージカル『カーニヴァル・イン・フランダー・ス』(6回で幕を降ろした失敗作)からのナンバーで、作詞はジョニー・バーク、作曲はジミー・ヴァン・ヒューゼン。パステルカラー風の格調高いバラードで多くの歌手がとりあげているが、シナトラほど哀しく美しく歌ったシンガーはいない。エモーション、フレージンク、緊張感、構築力どれをとっても申し分ない。彼の代表的バラードのひとつ。1959年3月25日録音。
F言い出しかねて
1935年にアイラ・ガーシュインが作詞、ヴァーノン・デュークが作曲して、レヴュー『ジーグフェルド・オブ・1936』でボブ・ホープが紹介した。トランペッターのバニー・ベリガンが歌い演奏した名盤があるが、何といってシナトラのこのヴァージョンがベスト。1959年3月25日録音。
Gホワイ・トライ・トゥ・チェンジ・ミー・ナウ?
1952年にジョセフ・マッカーシーが作詞、サイ・コールマンが作曲した歌。1952年9月17日に録音されたシナトラのレコードで紹介されたが、それはシナトラにとってコロンビアヘのラスト・レコーディングだった。この曲をはじめ心の傷みを切々と歌うシナトラにストリングスがピッタリと寄り添っていく。1959年3月24日録音。
Hジャスト・フレンズ
1931年にサム・M・ルイスが作詞、ジョン・クレナーが作曲したスタンダード・ナンバー。速いテンポで歌われることも多いが、シナトラは一語一語丁寧に、突然訪れた恋の終焉を力まず歌い綴る。フレージングとディクションのよさが存分に発揮された名唱。1959年3月26日録音。
Iアイル・ネヴァー・スマイル・アゲイン
カナダのルース・ローが亡き夫を偲んで作った1939年のバラード。1940年5月23日録音のシナトラとコーラス・グループのパイド・パイパーズをフィーチャーしたトミー・ドーシー楽団のビクター盤がミリオンセラーを記録した。青春期のこのオリジナル盤にたいし今回の再録音には渋い魅力がある。1959年5月14日録音。指揮はネルソン・リドル、1965年10月11日にリプリーズにもレコーディングしている。
Jナン・バット・ザ・ロンリー・ハート
ロシアの大作曲家チャイコフスキーの曲をもとにエドワード・ブラントがアレンジしたもの。作詞はガス・カーンとエドワード・ブラントで、1939年の出版。チャイコフスキーらしい重厚でメランコリックな曲想をもった難曲だが、シナトラは渾身の力をふりしぼって歌い上げる。1959年3月24日録音。コロンビア時代には1946年10月15日、同年10月31日、1947年10月26日と3回レコーディングしている。
Kザ・ワン・アイ・ラヴ
1924年にガス・カーンが作詞、アイシャム・ジョーンズが作曲した作品。シナトラは1940年6月27日(ビクター)、1959年3月25日(今回)、1961年5月3日(リプリーズ)と3回レコーディングしているが、バラードはこのキャピトル盤のみ。他の2回ではスイングしている。リプリーズ盤は本盤からわずか2年後の録音なのにまったく違った歌に仕上がっており、是非そちらも聴いていただきたい。
Lジス・ワズ・マイ・ラヴ
ジム・ハーバートが作詞作曲したナンバーで、1958年に出版された。1959年5月14日録音。ということは@Iと同じ日の録音だが、指揮だけでなくアレンジもネルソン・リドル。『ノー・ワン・ケアズ』の曲とはサウンドが異なるし、もともと曲想が違う。シングル用の録音だが、のちにアルバム『オール・ザ・ウェイ』(W-1538)に収録された。1967年7月24日には「ジス・イズ・マイ・ラヴ」とタイトルを替えてゴードン・ジェンキンスの編曲指揮で再録音している(リプリーズ)。
Mアイ・クッド・ハヴ・トールド・ユー
1953年にカール・シグマンとアーサー・ウィリアムズが作詞、ジミー・ヴァン・ヒューゼンが作曲したバラードで、シナトラのこのレコードがビルボード・チャートの21位にランクされた。レガートを使いながらも折リ目正しい歌いぶりがいかにもシナトラらしい。1953年12月9日録音。編曲指揮はネルソン・リドル。シングル用の録音だが、のちにアルバム『ルック・トゥ・ユア・ハート』(W-1164)に収録された。
Nユー・フォーゴット・オール・ザ・ワーズ
1955年にバーニー・ウェインが作詞、E・H・ジェイが作曲したナンバー。1955年10月17日録音。編曲指揮はネルソン・リドル。シングル用の録音だが、のちにアルバム『ジス・イズ・シナトラVo1.2』(W-982)に収録された。日本では1957年にシングルとEPでリリースされて以来の登場。
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