『ジス・イズ・マイ・ラッキー・デイ』/デイヴィッド・アレン This Is My Lucky Day/David Allen

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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TOPSinatra Society of Japan presentsスタンダード・ヴォーカル・アルバムの復刻・発掘>『ジス・イズ・マイ・ラッキー・デイ』 /デイヴィッド・アレン

『ジス・イズ・マイ・ラッキー・デイ』/
デイヴィッド・アレン
This Is My Lucky Day/
David Allen
特別価格
 (YKCJ-310)
Everest 原盤
1964録音 日本初登場・世界初CD化
>>購入する  

   「もっとも過小評価されている男性シンガーは?」と問われれば、それはデイヴィッド・アレンである。その歌唱力、シブイ個性に比して、アルバムの数は驚くほど少ない。シナトラとはまったく違う白人男性歌手のスタイルを提示していることに加えて、弱小レーベルへの吹き込みでしかも日本未発売だった点で大変貴重な作品となっている。
 


1. I've Got My Eyes On You/アイヴ・ガット・マイ・アイズ・オン・ユー >>試聴
2. Penthouse Serenade/ペントハウス・セレナーデ  >>試聴
3. Love Is A Serious Thing/ラヴ・イズ・ア・シリアス・シング>>試聴
4. A Swing For Joey/ア・スイング・フォー・ジョーイ>>試聴
5. What Have You Got That Ges Me/ホワット・ハヴ・ユー・ガット・ザット・ゲッツ・ミー>>試聴
6. Forgetful/フォーゲットフル>>試聴
7. Where You At/ホエア・ユー・アット>>試聴
8. Why Do You Pass Me By/ホワイ・ドゥ・ユー・パス・ミー・バイ>>試聴
9. Sweet And Lovely/スイート・アンド・ラヴリー>>試聴
10. Skylark/スカイラーク>>試聴
11. New In Town/ニュー・イン・タイン>>試聴
12. Lucky Day/ラッキー・デイ>>試聴
 

ザ・モースト・アンダーレイテッド・シンガー=デイヴッド・アレン

 
   「最も過小評価されているシンガーは?」と問われれば、男性歌手ではデイヴィッド・アレン、女性歌手ではアイリーン・クラールを挙げることにしている。異論もあるだろうが、歌手としての実力や個性と、知名度や評価それにレコードの数の間に乖離が著しい点で最右翼のひとりであることには間違いない。フランク・シナトラ、ペギー・リー、サラ・ヴォーンといった大歌手から賞賛されながら、日本でも本国アメリカでも一般的な人気からは無縁だ。


デイヴィッド・アレンの略歴

 
 デイヴィッド・アレンは1923年7月19日、コネチカット州のハートフォードで生まれた。父親はフレンチホーンの奏者で母親はシンガーだった。デイヴィッド自身は小さい時から歌うことに興味を示し、ビング・クロスビーがアイドルだった。40年ジャック・ティーガーデン楽団に入るが42年に陸軍に召集され、除隊後はヴァン・アレキサンダー楽団で歌い、クロスビーのスタイルを脱して自分の唱法を築いていく。いくつかのバンドをへて、ストラヴィンスキーやラヴェルを採り上げるなどプログレッシヴな音楽で注目されていたボイド・レイバーン楽団に45年に入団し、存在を認められるようになった。このバンドには1年ほどしか在籍しなかったが、当時の歌はボイド・レイバーン楽団名義の何枚かのサヴォイ盤LPやCDで聴くことが出来る。 第二次大戦の戦闘で受けた傷の痛みから逃れるために麻薬に手を出すが1955年に逮捕され監獄に入っている間に自らの力で悪癖を克服した。2年後出所すると心機一転西海岸に移りワールド・パシフィックのリチャード・ボックと知り合ったことで、57年に初アルバム『ア・シュア・シング 〜 デイヴィッド・アレン・シングズ・ジェローム・カーン』(WPM-408)を吹き込み、この作品が認められて『スティーヴ・アレン・ショウ』ほかのテレビやラジオ・ショウに出演するようになった。58年に『レッツ・フェイス・ザ・ミュージック・アンド・ダンス』(ワールド・パシフィック WP-1250)を、59年に『アイ・オンリー・ハヴ・アイズ・フォー・ユー』(ワーナー WS-1268)といった具合に年1枚のペースでアルバムを発表したわけだが、この頃はデイヴィド・アレンもかなりの人気を集めていた。しかし、60年にワーナーに吹き込んだ『イン・ザ・ブルー・オブ・イヴニング』はオクラ入りとなり陽の目を見たのは79年、ディスカヴァリーがライセンスを受けてリリースした時である(DS-794)。そして次に来るのが64年12月にリリースされた本盤『ジス・イズ・マイ・ラッキー・デイ』(エヴェレスト LPBR-5224/SDBR-1224)で、この後は日本でもCD化された75年の『ドント・ルック・バック』(ザナドゥー 101)、76年と81年録音の『ソフト・アズ・スプリング』(オーディオファイル AP-155)と続く。 現在のデイヴィッド・アレンはNYCを中心にコンボやボイド・レイバーン風のビッグバンドで元気に歌っており、最近スペインのレーベルのためにビッグバンド伴奏で新たな録音をしたようだ。


デイヴィッド・アレンの特徴がよく出ている『ジズ・イズ・マイ・ラッキー・デイ』

 
 以上のリーダー・アルバムの中にあって一番の希少盤は、レーベルがよりマイナーなこともあって本盤『ジス・イズ・マイ・ラッキー・デイ』である。このアルバムの最大の特徴は知られた曲がほとんどないこと、といったら皮肉に聞こえるだろうか。加えてデイヴッィド・アレン自身の知名度も低かったこともあり、本アルバムはずっと無視されてきた。しかし、じっくり聴き込めば、歌唱力の確かさやたとえ無名曲であっても曲の扱いは天下一品だし、アメリカの識者は「このアルバムの選曲は、地味ながら彼の審美眼の確かさを証明している」と評価している。大向こうを唸らせるような派手さはないが、バラードにおける重くなり過ぎないやや硬質なエモーションやスイング・ナンバーにおけるスマートなフレージングを聴くと、これぞ「大人の歌」としっかりと納得してしまう。また、当時多くの白人男性歌手に圧倒的な影響をあたえたフランク・シナトラのスタイルからはかなり遠いところにいることも彼の特徴といえる。デイヴィッド・アレンは彼から聴き手に強く迫ってくるのではなく、聴き手が彼に近寄ってはじめてその素晴らしさを理解できるシンガーである。

エヴェレストの不幸
 
 
 『ジス・イズ・マイ・ラッキー・デイ』を制作・発売したのは西海岸のマイナー・レーベルのエヴェレスト・レコードだが、この会社のオフィスは1969年に火災に遭い、多くの資料を消失散逸してしまった。よって、レコーディング・デイトやパーソネルの詳細を知ることはできなかったが、ロス在住の音楽評論家ビル・リード氏が本アルバムの編曲指揮者のボブ・フローレンスから以下のような情報を引き出してくれた。完全ではないにしても、全容はほぼカバーされていると思う。





【レコーディング・データ】
【スモール・グループ・セッション
デイヴィッド・アレン(vo)、  ボブ・フローレンス(arr)
フランク・キャップ(ds)、 バディ・クラーク(b)、 ボブ・フローレンス(p)、 ヴィクター・フェルドマン(vib)、 ハワード・ロバーツ(g)
  
【ビッグバンド&ストリングス・セッション】
デイヴィッド・アレン(vo)、  ボブ・フローレンス(arr)
フランク・キャップ(ds)、 バディ・クラーク(b)、 ジミー・ロールズ(p)、 
ジョン・オーディノ(tp)、 ジュールス・チェイカン(tp)、
トニー・テラン(tp)、 トム・スコット(tp)、 ハービー・ハーパー(tb)、
ゲイル・マーティン(btb)、 バド・シャンク(as)、
ジョン・ロテラ(as)、 ビル・パーキンス(ts)、 ビル・ユセルトン(ts)、 
ジョン・ロウ(bs)、 アナトール・カミンスキー(cm)


蛇足ながら
 
 
 デイヴィッド・アレンはトニー・カーティスの主演映画『40ポンドのトラブル』(1962)に出演して「ホワッツ・ザ・シーン」を歌っている。ジャケット裏の写真にふたりが写っているのはそういった経緯によるものだろうが、よく見るとCurtis Enterprises Production との表記がある。トニーは単にレコーディングの陣中見舞いに訪れたのではなく、資金提供あるいはプロデュースまでしたのかも知れない。  また、1970年代以降のアルバムには David Allyn と表記されているが、David Allen 名のミュージシャンが多く、混同を避けたかったからのようだ。




【 曲目 】

(1)アイヴ・ガット・マイ・アイズ・オン・ユー
1939年にコール・ポーターが作詞作曲して、翌40年に公開されたミュージカル映画『踊るニュウ・ヨーク』でフレッド・アステアが紹介した。ボブ・フローレンス指揮のアンサンブルに乗って快調にスイングする唄い回しに、このアルバムへの期待感が高まってくる。

(2)ペントハウス・セレナーデ
1931年にウィル・ジェイソンとヴァル・バートンが共作した作品で、このアルバムの中では比較的知られたナンバーだ。ナット・キング・コールのピアノ・ヴァージョン(キャピトル)がすぐに頭に浮かぶが、トニー・ベネットのコロンビア盤がスケールの大きな熱唱だった。ベネットと全く違うアプローチのアレンのハスキー・ヴォイスがメル・トーメを彷彿とさせる。

(3)ラヴ・イズ・ア・シリアス・シング
マーヴィン・フィッシャーとジャック・シーガルが作ったスマートな佳曲。アレンが快調に飛ばす一方、バックもタイトにスイング感する。アレンはシナトラとは違う白人のスイング唱法を提示している。

(4)ア・スイング・フォー・ジョーイ
デイヴィッド・アレンが作曲したナンバーで、ファンタジックな雰囲気に溢れている。作詞はブランカ・ウェッブ。アレンはほかにも、ソングライター&マルチ・プレイヤー&パーソナリティーとして大変な尊敬を集めていたスティーヴ・アレンとも曲をつくった、と英文ライナーに書かれている。

(5)ホワット・ハヴ・ユー・ガット・ザット・ゲッツ・ミー
1938年にレオ・ロビンとラルフ・レインジャーの名コンビが書いた曲で、映画『画家とモデル』でヨット・クラブ・ボーイズ、ジョイス・コンプトム、ジョーン・ベネット、ジャック・ベニーらが歌った。

(6)フォーゲットフル
ジョージ・ハンディがジャック・シーガルと作った歌でこれも無名に近いが、アレンをフィーチャーしたボイド・レイバーン楽団のレコードがサヴォイにあるほか、チェット・ベイカーのパシフィック盤もある。ジョージ・ハンディはアレンのジェローム・カーン作品集のアレンジを引き受けたジョニー・マンデル同様、ボイド・レイバーン楽団の編曲者だった。

(7)ホエア・ユー・アット
ジャズ・ピアニストのホレス・シルヴァーの作品を始め同名異曲がたくさんあるが、ここで歌われるのは1941年にジャック・シーガルとジョージ・ハンディが作った歌で、アレンは後年オーディオファイル盤にも吹き込んでいる。

(8)ホワイ・ドゥ・ユー・パス・ミー・バイ
シャルル・トレネが作詞、ジョン・エスとポール・ミスラキが作曲して、トレネが歌ったシャンソンで、英詞はデズモンド・カーターが書いた。1936年の作品。

(9)スイート・アンド・ラヴリー
1931年にガス・アーンハイム、ハリー・トビアス、ジュールス・レメアが共作したナンバーで、ドナルド・ノーヴィスのヴォーカルをフィーチャーしたガス・アーンハイム楽団のレコードで紹介され、ビング・クロスビーやラス・コロンボのレコードでポピュラーになった。

(10)スカイラーク
無名曲の多いこのアルバムの中ではポピュラーな1曲。1942年にジョニー・マーサーが作詞、ホーギー・カーマイケルが作曲した切ないラヴバラードで、どちらかというと女性向きの曲だが下手をするとエモーション過多に陥る。アレンはスタイリッシュで引き締まった歌を聴かせ実力のほどを証明する。

(11)ニュー・イン・タウン
ブルーバラードの名曲「エンジェル・アイズ」を書いたコンビ、アール・ブレント(作詞)とマット・デニス(作曲)の作品。マット・デニスをふくめ、デイヴィッド・アレン以外で歌っている人は見当たらなかった。

(12)ラッキー・デイ
1926年にバッド・デ・シルヴァとルー・ブラウンが詞を書き、レイ・ヘンダーソンが作曲したナンバーで、レヴュー『ジョージ・ホワイツ・スキャンダル・オブ・1926』で紹介された。1956年のミュージカル映画『ザ・ベスト・シングズ・イン・ライフ・アー・フリー』(本邦劇場未公開)ではダン・デイリーが歌った。




(2005年9月21日 三具保夫)
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