『ラヴ』/ ローズマリー・クルーニー Love/  Rosemary Clooney

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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sinatra society of japan

『ラヴ』/
ローズマリー・クルーニー
Love/ 
Rosemary Clooney
特別価格
 (YKCJ-306)
Reprise 原盤
1961年録音 紙ジャケ初登場
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  ローズマリー・クルーニーが自ら「一番大好きなアルバム」と明言したラヴ・バラード集。録音当時恋仲だった名手ネルソン・リドルを編曲者に向かえ、ロージー自身の思いを昇華させて、爛熟した愛の世界が展開される。
 

1. Invitation/インヴィテーション >>試聴
2. I Wish It So/アイ・ウィッシュ・イット・ソー>>試聴
3. Yours Sincerely/ユアーズ・シンシアリー>>試聴
4. Imagination/イマジネーション>>試聴
5. Find The Way/ファインド・ザ・ウェイ>>試聴
6. How Will I Remember You/ハウ・ウィル・アイ・リメンバー・ユー >>試聴
7. Why Shouldn't I?/ホワイ・シュドゥント・アイ>>試聴
8. More Than You Know/モア・ザン・ユー・ノウ>>試聴
9. The More I See You/ザ・モア・アイ・シー・ユー>>試聴
10. It Never Entered My Mind/イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド>>試聴
11. If I Forget You/イフ・アイ・フォーゲット・ユー>>試聴
12. Someone To Watch Over Me/サムワン・トゥ・ウォッチ・オーバー・ミー>>試聴
 

ネルソン・リドルの思い出

 昔ネルソン・リドルにインタビューしたことがある。リンダ・ロンシュタットの音楽監督兼指揮者として第13回東京国際音楽祭出演のために来日した時で、1984年4月1日宿泊先の東京プリンス・ホテルだった。インタビューの中心はフランク・シナトラとの関係だったが、最後にリドルが編曲指揮したシンガーのアルバムを1枚ずつ取り出して、ワンフレーズ・コメントをお願いした。ディーン・マーティン/『ジズ・タイム・アイム・スインギン』(キャピトル)に対しては「うまいのに自分ではそう思っていなかった。それで大分苦労したよ」。ジョニー・マティス/『リヴ・イット・アップ』(コロンビア):「当時はわざと音を外すのが好きでね。最近は本当にうまくなった」。スティーヴ・ローレンス/『ポートレート・オブ・スティーヴ』(MGM):「頭もいいし、安心して仕事ができる。人間的にも大変魅力的だ」。ダイナ・ショア/『イエス・インディード』(キャピトル):「大変スイートなレイディ。一緒に仕事をしていて本当に楽しかった」。そして、ローズマリー・クルーニー。ロージー・ソルヴズ・ザ・スインギン・リドル』(RCA)のジャケットを見せると、急に表情が輝いた。「彼女は私のペット。当時も今も大好きさ。明るい女性だが、幸せな人生とはいえなかった」。

爛熟の愛の世界を描いた、ロージーの代表作

 本アルバム『ラヴ』はネルソン・リドルの編曲指揮で1961年RCAにレコーディングされた。しかしRCAが発売を見送ったため、63年になってフランク・シナトラが主宰するリプリーズ・レコードがリリースした(R/R9-6088)。筆者は直接ロージーから「一番気に入っている作品のひとつ」と聞いたことがある。このアルバムでのロージーは、トレードマークである気さくさや明るさをぐっと抑え、深いエモーションを内に秘め声量を抑制しながらも高いテンションを保ちながら、ストイックな中にもロマンティックで品格のある濃密な愛の世界を創造している。それはズバリ当時恋仲にあったネルソン・リドルへの熱い思いである。と、ここまで書いてきてシナトラのアルバム『イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ』(キャピトル)を連想してしまった。エヴァ・ガードナーへの思いを切々と歌ったブルーバラードの傑作で、アレンジはやはりネルソン・リドルだった。 1999年に出版されたロージーの自伝『ガール・シンガー』(米ダブルデイ)によると、レコーディング当時ロージーとリドルの間には愛の炎が燃え滾っていたが、大きな障害があった。ロージーはレストランでシナトラに会い「ネルソンの親友だからお願いするの、彼に離婚するよう説得してほしい」と頼んだが、シナトラは「それは無理だよ」と答えた。「ネルソンには子供が6人もいる。彼としては家庭を壊すわけにはいかないだろう」。そして「ロージー、君は薬を飲んでいるだろう、声にひびくよ」と忠告した。ロージーは「シナトラの指摘はひとつは当たりひとつは外れた」と書いている。俳優である夫のホセ・ファーラーと不仲になり子育てにも疲労困憊し、またリドルとの間も思うように進まず、鎮静剤を多用していたため声に影響が出始めていた。ふたりの仲は数年ほどして終わるが、その後リドルは離婚して秘書と結婚した。 1960年には前述の『ロージー・ソルヴズ・ザ・スインギン・リドル』(RCA LMP/LSP-2265)がやはりネルソン・リドルの編曲指揮で録音されている。バラード集『ラヴ』に対してスイング・アルバムである。ふたりが深く結ばれていた時期に作られたこれら2作は最高のペア・アルバムといえる。

ローズマリー・クルーニーのプロフィール

 ローズマリー・クルーニーは1928年5月23日にケンタッキー州メイズヴィルでアイルランド系の両親のもとで生まれた。3年後には妹のベティが、6年後には弟のニックが生まれている。一家はシンシナティへ移住し、ロージーは45年ベティと地元のラジオ局WLWのオーディションを受けて合格し、クルーニー・シスターズを結成してプロ・デビュー。さらにふたりは46年ヴァージニア・マクシー(後のマット・デニス夫人)の後釜としてトニー・パスター楽団にスカウトされツアーに出るが、未成年だったため叔父のジョージが付き添った。ジョージはまだ弱冠24歳だったが大変頼りになる人だったとロージーは述懐している。因みに、ロージーの弟ニックはこの叔父の名前を息子につけた。俳優のジョージ・クルーニーである。 1949年ふたりはトニー・パスター楽団を離れ、ベティは故郷へ帰りロージーはコロンビア・レコードと契約してニューヨークへ向かった。初レコーディングは49年6月だが、51年6月プロデューサーのミッチ・ミラーから「歌わないならクビだ!」と言われて不承不承吹き込んだ「カモナ・マイ・ハウス」が大ヒットしてスターの仲間入りを果たした。しかし、1953年に結ばれたホセ・ファーラーとの離婚・再婚・再離婚や5人の子育て、さらにネルソン・リドルとの恋に疲れ果てるなど、私生活上の問題を多くかかえて1960年代のほとんどを捧にふった。  ロージーのカンバックに手を貸したのは親友ビング・クロスビーである。1976年6月ビングのロンドン公演にゲスト出演し翌年10月のビングの急死を乗り越えて、コンコード・レコードに吹き込んだ『エヴリシングズ・カミング・アップ・ロージー』(CJ-47)がアメリカ本国はもとより日本やヨーロッパでも高く評価された。その後同レーベルの看板アーティストとして優れたアルバムを次々に発表したことはご存知の通りだが、ネルソン・リドルが亡くなってから10年目にあたる1995年にはトリビュート・アルバム『デディケイテッド・トゥ・ネルソン』(CCD-4685)を録音してグラミー賞にノミネートされた。 2002年6月29日ロージーは肺ガンのために74歳で亡くなったが、死の直前まで第一線で活躍し多くのファンや音楽関係者から敬愛され、ホセ・ファーラーとの悪夢を克服して長年陰で支えてくれたダンテ・ディパオロと97年に結婚するなど、その後半生は幸せの日々だったに違いない。

【レコーディング・データ】
(6)(2)(10):1961年3月6日/ハリウッド・RCAビクター・スタジオ
ローズマリー・クルーニー(vo)
ボビー・ギボンス(g)、エド・ギルバート(b)、アーヴ・カトラー(ds)、ドン・トレナー(p)、
14バイオリン、6ビオラ、6チェロ、1ハープ、ネルソン・リドル(arr)

(3)(12)(8)(11)(1):1961年3月21日/ハリウッド・RCAビクター・スタジオ
ローズマリー・クルーニー(vo)
レイ・トリスカリ/ジョン・オーディノ/ユアン・レイジー/ドン・ファガーキスト(tp)、
ジェイムス・プリディ/ミルト・バーンハート/トム・シェパード/ウィル・シェイファー(tb)、
ジャスティン・ゴードン/ウィルバー・シュワルツ/ハリー・クリー/ロバート・ハーダウェイ/ウィリー・スミス(sax)、
ボブ・アルバーティ(p)、ジョー・ギボンス(g)、ラルフ・ペイニャ(b)、アーヴ・カトラー(ds)、ビリー・メイ(arr)
(9)(7)(4)(5):1961年3月24日/ハリウッド・RCAビクター・スタジオ
ローズマリー・クルーニー(vo)
ボブ・ベイン(g)、ジョー・コンフォート(b)、ノーマン・ジェフリーズ(ds)、ポール・スミス(p)、
ジーン・シプリアーノ/プラス・ジョンソン/ハリー・クリー/ジョー・コッチ/ウィルバー・シュワルツ(sax)、
ジョージ・エアラス/ロバート・ナイト/ディック・ノエル/トム・ペダーソン/トム・シェパード(tb)、
12バオイリン、6ビオラ、4チェロ、1ハープ、ネルソン・リドル(arr)



【 曲目 】

(1)インヴィテーション
1952年にブラニスラウ・ケイパーが作曲した同名映画のテーマ曲で、56年になってポール・フランシス・ウェブスターが歌詞をつけた幻想的なナンバー。早くもロージーの愛の世界に引き込まれる、心のこもった力唱だ。リドル編曲のストリングスがこの上なく美しい。

(2)アイ・ウィッシュ・イット・ソー
マーク・ブリッツスタインの作品。無名曲だが落ち着いた佇まいのある美しい曲だ。リドルへの一途な思いを込めて歌うロージーの歌が深い感動をよぶ。伴奏も限りなく甘美で哀しい。

(3)ユーアズ・シンシアリー

ロレンツ・ハート(作詞)とリチャード・ロジャース(作曲)の名コンビによる1929年の作品だが、採り上げるアーティストは少ない。ロージーは『ロジャース=ハート=ハマースタイン』(コンコード)で再録音している。

(4)イマジネーション
1940年にジョニー・バークが作詞、ジミー・ヴァン・ヒューゼンが作曲したナンバー。もともと美しいバラードだが、これほどまでにイマジナティヴな歌と夢の中を漂うような伴奏は稀有だ。ロージーは1986年にコンコードに再録音している。

(5)ファインド・ザ・ウェイ
ロージーの友人イアン・バーナードの作品。レコーディングに立ち会ったバーナードは一語一語噛みしめて歌うロージーの歌に感動して涙したという。指揮台に立つリドルへの思いが歌に乗り移ったのだ。

(6)ハウ・ウィル・アイ・リメンバー・ユー
カール・シグマンが作詞、ウォルター・グロスが作曲した作品。本作でのリドルのストリングス編曲は彼の最高作と言ってもいい。この曲のアレンジには英国のクラシック曲を思わせる美しさがある。ロージーは歌手生活50年を記念して制作したアルバム『デミセンテニアル』(コンコード)で再録音して、ネルソン・リドルに捧げた。

(7)ホワイ・シュドゥント・アイ
1936年にマーティ・シムスが作詞、アイシャム・ジョーンズが作曲した、高揚感溢れるスケールの大きな愛の歌。ナット・キング・コールのキャピトル盤が模範的な名唱だが、ダーリンも正面から取り組んだ堂々とした歌唱だ。LPではA面の最終曲にあたるが、この曲で初めてバラードとなる。そしてF以降のB面は6曲中4曲がバラードである。

(8)モア・ザン・ユー・ノウ

1929年エドワード・エリスクと英国出身のビリー・ローズが作詞、ヴィンセント・ユーマンスが作曲して、ミュージカル『グレート・デイ』で紹介された。ジェーン・フローマンの当たり曲。

(9)ユー・スターテッド・サムシング
ポール・ホワイトマン楽団時代にビング・クロスビーらとコーラス・グループを組んだアル・リンカーがフロイド・ハドルストンと1947年に共作したナンバー。クルーニー・シスターズをフィーチャーしたトニー・パスター楽団のコロンビア盤がヒットした。

(10)イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド
1940年のブロードウェイ・ミュージカル『ハイアー・アンド・ハイアー』のために、ロレンツ・ハートが作詞、リチャード・ロジャースが作曲して、シャーリー・ロスが紹介した。シナトラも『イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ』に吹き込んでいた。

(11)イフ・アイ・フォーゲット・ユー
1933年にアーヴィング・シーザーが作詞作曲したナンバーで、ジェームス・メルトンが紹介した。ロージーは抑制を効かせながらも心の底からエモーションを搾り出すように歌い綴る。哀しみに溢れた名唱だ。

(12)サムワン・トゥ・ウォッチ・オーバー・ミー
アイラ・ガーシュイン作詞、ジョージ・ガーシュイン作曲のラヴ・バラードの傑作。1926年のブロードウェイ・ミュージカル『オー・ケイ!』でガートルード・ローレンスが歌った。愛を歌うアルバムに相応しいエンディングだ。となる。




(2005年10月8日 三具保夫)
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