黄金期のムードミュージックのサウンドを髣髴とさせる
アラン・キャプランの新作アルバム
■このアルバムの特徴■
このアルバムはジャズのソロ楽器(アラン・キャプランのトロンボーン)にストリングス・オーケストラという編成によるスタンダード曲集である。所謂ウイズ・ストリングス物だが、このような編成は腕に覚えのソリストにとって意欲をかきたてるものであるらしく、チャーリー・パーカーの昔からその数枚挙に暇がない。日頃のリズム・セクションや小人数の管楽アンサンブルだけをバックにしたシチュエーションとくらべて、厚味のある弦楽アンサンブルをバックにした演奏ではまた別のイマジネーションがふくらむのだろう。
ではこのアルバムはそうした幾多のジャズメンが残した名作と同一の線上にあるのか?と問われればわたしは否とこたえたい。楽器編成やサウンドに共通点はあるが、ジャズマン+管弦楽の作りとは一線を画している。その理由は下記の三点にある。
@アンサンブルが独奏楽器の従属物になっていない。緻密なアレンジが独奏楽器と対等の関係を持っている。
A独奏楽器は即興演奏で自己主張するのではなく、アンサンブルに融和しながら原曲の美しさを際立たせる役割に徹している。
B旋律と和音が強調されており、そうした環境には無用ともいえるパーカッシヴな拍動が皆無である。
ではこのアルバムはなにか?
ジャズ的な和音構成、奏法をもっていながら、聴き所は奔放なアドリブでもなければ動的なスウィング感でもない。スタンダード・ソングのなかでもとりわけ品格のある曲を、極上のアンサンブルで楽しんでいただくためのものである。
わたしはこれを絶えて久しい「ムード・ミュージック」と呼びたい。それも極めつけの、とつけ加えて。
■ムード・ミュージックの歴史■
由来ムード・ミュージックはバックグラウンド・ミュージックとして聴かれ、また扱われることが多いため、ヴォーカルやストレート・アヘッドなジャズにくらべて真剣に論じられることが少ない。少ないというより皆無に近いのではないか。
しかしこのアルバムのように、看過されるにはあまりにも芳醇なものを含んでいる作品も少なからず存在しているのである。いやかつて1950年代には数多く存在し、一大カテゴリーを形成していたのだ。
ムード・ミュージックは1948年、LPレコードの発明と同時にその歴史がスタートしている。先行形態としてスウィートなダンス・ミュージック、例えば大晦日の「蛍の光」の全米放送で有名なガイ・ロンバード(Guy Lombardo and The Royal Canadians)などとの類似性を認めてもいいかもしれない。しかしムード・ミュージックとくらべるとサウンドに共通点があるほかは大きく異なっている。ニューヨークのローズヴェルト・ホテルやウォルドーフ・アストリア・ホテル(のボール・ルーム)を拠点としたロンバードは基本的にダンス・バンドであり、フォックストロット、ワルツ、ラテンなどの趣の異なる曲を、2分から長くても3分以内の編曲で次々と繰り出さなければならなかった。ダンサーの要望に応えるためである。
甘いサウンドという共通点はあるものの、ムード・ミュージックはライヴ・パフォーマンスではなくLPという録音メディアの上で発展したものである。SPの片面約3分という制約を脱し、片面30分、一度ディスクを裏返せばほぼ1時間の演奏をストレスなく聴くことができたLPは、長尺のクラシックやジャズの聴き方を変えたばかりではなく、ムード・ミュージックという新しいカテゴリーを生んだのである。
はじめのうちはダンスバンドのレパートリーやヴォーカル・ヒットのカヴァーなどを集めたものが多かったが、メディアがコンテンツを変えていく原則がここにもあてはめられる。人々はまとまった音楽を楽しむためにコンサート・ホールやボール・ルームに足を運ぶことなく、自室やホーム・パーティーなどレコード・プレイヤーがある場所ならどこにいても、音楽を自分の好みのままに使えるようになったのである。そしてこうした場面では、人々はボール・ルームなど公的な場所にいるときよりも一層の寛ぎをもとめるものである。この需要にLPの送り手たちは様々な利用シーンを想定し、一枚単位で完結性のある作品を指向しはじめる。後の言葉でいえば「トータル・アルバム」「コンセプト・アルバム」である。一定のアンビエンスを醸成するため、サウンド作りや選曲にゆるぎないポリシーが求められるようになったのである。
「恋人たちが一夕をロマンティックに過ごすために」
「日差しの明るい休日の午後のために」
「親しい友人たちとひらくパーティーのために」
「一日の終わり、やさしい眠りへの誘い」
「母と子が睦みあう夕べのために」
「サンセットの美しいビーチですごす雰囲気で」
「月影に寄り添う二人の恋の気分に」
こうしたテーマによって無数のアルバムが作られ、それらのLPは主として都会に住む中産階級の人々に愛された。
■ムード・ミュージックをささえたミュージシャン■
時にアメリカにとっては第二次世界大戦後の繁栄期であり娯楽にはゴージャスさと洗練が不可欠なものとなった。またロス・アンジェルスを中心にウエスト・コースト・ジャズが勃興し、モダンで且つアレンジを重視する音楽が一世を風靡するが、これを支えた白人ミュージシャンが目指したものも都会的な洗練である。
ハリウッド映画はシネマスコープなど画面の大型化にともない、音楽にも大管弦楽を使ったものが増えてくる。映画音楽の巨匠といわれるマックス・スタイナー、アルフレッド・ニューマン、バーナード・ハーマンなどが健筆を振るった時代である。ミュージカル映画も全盛時代を迎える。必然的に多くのジャズ系、クラシック系のミュージシャンがハリウッドに集まってくる。ロス・アンジェルスはニューヨークに優るとも劣らない音楽の都になったのである。
ムード・ミュージックという一大カテゴリーの隆盛にはこうした多くの有能なミュージシャンの存在が見逃せない。
彼らの特徴は、@クラシックの教育を受けた高度な演奏技術 Aジャズのセンスを理解し、またその奏法をマスターしている Bクラシック、ジャズ双方の音楽構造を知悉する編曲者、そして Cスタンダード・ソングにたいする見識など、と言えようか。これらを備えた代表的な指揮者、リーダー、アレンジャーを列挙すれば、この時代のムード・ミュージックの高い水準をその名によって容易に推察することができるはずである。
アクセル・ストーダル
ゴードン・ジェンキンズ
ジャッキー・グリースン
モートン・グールド
リチャード・ヘイマン
フランク・デヴォール
デヴィッド・ローズ
ポール・ウェストン
ヴィクター・ヤング
この他にもジャズ・ミュージシャンではピート・ルゴロ、マーティ・ペイチ、ショーティ・ロジャース。アメリカ人以外ではパーシー・フェイス、ジョージ・メラクリーノ、マントヴァーニあたりまでをこのカテゴリーの著名人に加えてもいいだろう。
■ムード・ミュージックの衰退■
隆盛を誇ったムード・ミュージックに衰微の影がさすのは1960年代後半からである。大衆音楽が完全にロックの時代に入り、また世界も次の歴史過程に入ろうとしていた。ロマンティシズムよりもリアリズムが強調される時代の風潮のなかで、瑞々しく繊細な感性に訴えるムード・ミュージックは次第に人々の生活から遊離したものになっていったのである。とってかわって、音楽市場のこの面での需要に応えたのはフランス勢で、ジャズ・センスを払拭した単純で薄っぺらなサウンド、陳腐なリズムで流行のポップスをカヴァーした。一時期はツアー・バンドまで現れ、頻々と来日したオーケストラもあったからご記憶の方もおられようが、これも短期間のうちに消え去った。
■待望久しい本格的ムード・ミュージック■
お気づきの方もおられようが、大きなホテルのロビーやラウンジなどで、ぐっと抑えた音量でBGMとして流されている音楽の大半は古き良き時代のムード・ミュージックである。さきほど「一定のアンビエンス」と書いたが、「上品さ」「落ち着き」「寛ぎ」「洗練」「都会性」に加えて「甘く且つ洒落た」アンビエンスを醸すのは現在でもやはり本格的ムード・ミュージックの役割なのである。誰がそう決めたわけでもないが、こうした音楽需要は自ずとこのカテゴリーに収斂されてくるのだ。これも1950年代に上記のミュージシャンたちによって確立されたスタイルの完成度の高さの証左であろう。
わたしはいまこのアラン・キャプランのアルバムを手にして、あらためてこのカテゴリーの偉大さをおもい、彼によって50年ぶりによみがえった黄金時代のムード・ミュージックの素晴らしさをかみしめているところである。
■アラン・キャプランによるスタンダード名曲集■
さてこのアルバムである。アラン・キャプランの名前はご存知なくとも、彼のトロンボーンのサウンドはこのCDを聴こうというほどの方ならば間違いなく耳にされているはずである。音楽家の層の厚いアメリカでも最大級の信頼と尊敬を集めるトロンボニストとして無数のレコーディング、無数の映画音楽録音に参加してきたからだ。まずレコーディングのキャリア(一部ツアー)からご紹介してみよう。
ビッグバンドではレイ・アンソニー、ルイ・ベルソン、フランク・キャップ、ドン・エリス、バディ・リッチ、ハリー・ジェイムズ、ライオネル・ハンプトン、メイナード・ファーガスン…
歌手との共演はヴィッキー・カー、ハリー・コニック・ジュニア、ニール・ダイアモンド、ホセ・フェリシアーノ、イーディ・ゴーメ、バリー・マニロウ、キーリー・スミス、バーブラ・ストライザンド、マーヴィン・ゲイ、ジョニー・マティス、マドンナ、サラ・ヴォーン、ティアニー・サットンからプラシド・ドミンゴまで。フランク・シナトラのライヴでは、「アイヴ・ガット・ユー・アンダー・マイ・スキン」のあの有名な間奏でのソロをとったこともある。
映画音楽の分野では『恋人たちの予感』『ミッション・インポッシブル』『リーサル・ウエポン』『ビヴァリー・ヒルズ・コップ』『ライオン・キング』『ロッキー』『ゴッドファーザーPART3』『めぐり逢えたら』…きりがないのでやめておくが、以上はほんの一部である。
アラン・キャプランはロス・アンジェルス生まれ。8歳から音楽を学ぶが、大学は技術系のコースに進学。しかし19歳でバディ・リッチ楽団(史上最年少)のリード・トロンボーンの席に迎えられツアーに出る。以後、上記のビッグバンドを渡り歩き1970年代が終わる頃にはフランク・ロソリーノ、カール・フォンタナ等のトロンボーン・グレイトと比肩する存在に成長。1980年代からはロス・アンジェルスに定住してレコードに映画に大活躍していることは上記の人名、作品名から十二分に察せられるだろう。生年は明らかではないがこうした履歴から察して1950年前後と思われる。
これだけのキャリアの持ち主であるから、トロンボーンの腕前は折り紙つきというものだが、お聴きのようにそれは単なる機械的な技巧ではない。収録曲全15曲中13曲までがフランク・シナトラのレパートリー、就中その一部がトミー・ドーシー楽団時代に初演したものであるところから、この歴史的なトロンボニストを連想される方もいらっしゃるに違いない。アランの高い音楽性の所以である。
アラン・キャプランはロス・アンジェルス生まれ。8歳から音楽を学ぶが、大学は技術系のコースに進学。しかし19歳でバディ・リッチ楽団(史上最年少)のリード・トロンボーンの席に迎えられツアーに出る。以後、上記のビッグバンドを渡り歩き1980年代からはロス・アンジェルスに定住してレコードに映画に大活躍している。
『ロンリー・タウン』はそんな彼が満を持して発表した最初の自己名義のアルバムである。選曲にフランク・シナトラのレパートリー、特にアルバム『オンリー・ザ・ロンリー』と『ホエア・アー・ユー?』からの曲が多いのは、アランがこの二枚に格別の愛着をもっているからだという。さらにもう一枚のお気に入りが『イン・ザ・ウィー・スモール・アワーズ』というから、彼の好みのよさが判ろうというものだ。
これらの曲に美しいアレンジを施したのはジョー・クリオール、ビル・カンリフそしてラッセル・ガルシアなど。プレイヤーで著名人を挙げておけば、サックスではなくクラリネットにゲイリー・フォスター、ピアノにクリスチャン・ジェイコブ(当SSJレーベルからリーダー・アルバム『スタイン&マイン』が発売されている)、ドラムスにジョー・ラバーベラ(同じく女性ヴォーカリスト、ダイアン・ハブカの『ザ・ルック・オブ・ラヴ』に参加)など。
彼ら実力派のジャズメンの参加がこのアルバムを一段と深みのあるものにしていることは、いずれも格調の高い一つ一つの曲を聴けば瞭然である。誰もがアラン・キャプランとの共演を、そして「ムード・ミュージック」の演奏を心から楽しんでいる。アランとはなんと幸せなミュージシャンであることかと思わざるを得ない。