『ブルー・イン・グリーン』/ジョン・ウッド Blue In Green/John Wood

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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TOPSinatra Society of Japan presentsジャズ・アルバム (インストゥルメンタル)>『ブルー・イン・グリーン』/ ジョン・ウッド

『ブルー・イン・グリーン』/
ジョン・ウッド
Blue In Green/
John Wood
特別価格
 (XQAM-1602)
L.A.P. 原盤
1988/1989年録音  
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   ジョン・ウッドは、ビル・エヴァンスのピアニズムに独自の美意識とドライヴ感を加えた クリスタルで爽快感あふれるプレイによって、米西海岸で確固たる地位を築いた。 本作は、その実力派中堅ジャズ・ピアニストによる、遅すぎた日本デビュー盤である!
 


1. 405 South/405サウス>>試聴
2. Blue in Green/ブルー・イン・グリーン  >>試聴
3. One for a Friend/ワン・フォー・ア・フレンド>>試聴
4. Catalina/カタリーナ>>試聴
5. Upsidasium/アプシデイジアム>>試聴
6. Secret Love/シークレット・ラヴ>>試聴
7. Autumn Leaves/枯葉  >>試聴
8. Cast Your Fate to the Wind/風にまかせて>>試聴
9. Song for My Father/ソング・フォー・マイ・ファーザー>>試聴
 

ジョン・ウッド、日本登場

 ジョン・ウッド、といわれても知らない人の方が圧倒的に多いだろう。ジョンは1950年11月1日にテネシー州のナッシュヴィルで生まれた白人ジャズ・ピアニストで、6歳の時に家族とロサンゼルスに移ってきた。父親はドット・レコードを興したランディ・ウッドである。パット・ブーンやローレンス・ウェルク、ビリー・ヴォーンらのレコードで有名な独立系レーベル(現在はユニバーサル傘下)だが、ジャズ・ファンの間ではエディ・コスタの『ザ・ハウス・オブ・ブルー・ライツ』やカウント・ベイシーとミルス・ブラザースの共演盤などで親しまれてきた。
父親の仕事の関係で自然と音楽に親しむ環境下で育ち、8歳の頃まずドラムス、次いでギター、そしてピアノを演奏するようになった。10代の頃に聴いていたのはフランク・シナトラ、ナンシー・ウィルソン、アンドレ・プレヴィンらだったが、ジミー・スミスのアルバム『ザ・サーモン』を耳にしてリアル・ジャズに目覚め、アート・ブレイキー、リー・モーガン、ビル・エヴァンスほかのレコードを聴き漁り、1965年から3年間先生について本格的にジャス・ピアノの勉強をしたが、その間にピアノ・トリオを率いてデビューを果たしている。1974年に父親のランディがウェスト・ハリウッドにレコーディング・スタジオをつくると、そこで一緒に働くようになるが、優れたミュージシャンたちが音楽を創造していく様を間近で観察できたことはその後の大きな糧となった。
アルバム・デビューは1968年の『イントロデューシング・ザ・ジョン・ウッド・トリオ』(Ranwood)だが、ジョー・ヘンダーソン、ウディ・ショウとの共演アルバムをふくめ現在までに13枚のアルバムをリリースしているが、今回日本デビュー盤となる『ブルー・イン・グリーン』は1989年に発表された。 ジョンはビル・エヴァンスのピアニズムをベースに、独自のダイナミズムとドライヴ感で、クリスタルで爽快感あふれる音世界を構築していく。レパートリーは広く、このアルバムでもスタンダード・ナンバー(「シークレット・ラヴ」「枯葉」)、ジャズ・オリジナル(「ブルー・イン・グリーン」「ソング・フォー・マイ・ファーザー」)、ヒット曲(「風にまかせて(キャスト・ユア・フェイト・トゥ・ザ・ウィンド)」)、自作のオジリナルとバラエティーに富んだ選曲になっているが、作曲の腕もなかなかのものだ。ジョンのアイドルはピアノのビル・エヴァンス、ベースボールのウィリー・メイズ(ニューヨーク/サンフランシスコ・ジャイアンツの外野手)、そしてボクシングのモハメド・アリ(カシアス・クレイ)である。
因みにジョンはボクシングに関しては素人の域を脱しており、『リング・マガジン』に寄稿しているほどだ。



パソコンも携帯電話も大嫌い


 ところで、ジョンは、マルチ・レコーディングやミックス、オーバーダビングといったテクノロジーを前提とした今のレコーディング方法を非常に嫌い、あくまでも一発録にこだわっている。それは心から湧き出てくる音楽の自主性を大切にするジャズ・ミュージシャンらしい姿勢ともいえるが、パソコンや携帯電話といったITも大嫌いだというし、メールもやらない。なかなかに頑固な男のようだ。
ハリウッドのサンセット通りにアメーバというロス地区随一の巨大な廃盤・中古レコード店があるが、ジョンはこの店の前で自ら “Drum Machines Have No Soul” というバンパー・ステッカーを売ってきた。このステッカーはかなりの話題となり、ロスのメディアにもとり上げられたし、インターネット上でもいろいろな人が言及している。このステッカーはその後全米のレコード店や楽器店が扱うようになり、4年間で25,000枚以上売ったというから大したヒットだ。現在ロスの街ではこのステッカーを貼った車がしばしば見かけられるが、今度は “Cell Phones Kill” というステッカーも売り始めた。
 

レコーディング・データ

 
@GH:1989年3月14日/ジョン・ウッド(p)、ジェフ・リトルトン(b)、ビリー・ミンツ(ds)
A:   1988年7月1日/ジョン・ウッド(p)、エリック・ヴォン・エッセン(b)、ジョン・ノーラン(ds)
B:   1988年7月7日/ジョン・ウッド(p)、エリック・ヴォン・エッセン(b)、レイ・ピツィ(fl)、
                ビリー・ミンツ(ds)
C:   1982年8月14日/ジョン・ウッド(p)、リッキー・ケリー(vib)、リロイ・ヴィネガー(b)、
                ビリー・ヒギンズ(ds)
DF:  1988年4月2日/ジョン・ウッド(p)、エリック・ヴォン・エッセン(b)、ジョー・ラバーベラ(ds)、
                レイ・ピツィ(fl)
E:    同日/ジョン・ウッド(p)、エリック・ヴォン・エッセン(b)、ジョー・ラバーベラ(ds)

録音スタジオはいずれもロサンゼルス。




【 曲目 】

@405サウス
405はロスとサンディエゴを結ぶサンディエゴ・フリーウェイの一部で、「フォー・オー・ファイヴ」の呼び名で親しまれている。所によっては現在片側8車線もあるが、交通渋滞でつとに有名だ。この曲を作曲した当時、ジョンは週に4回は405をサンディエゴへとクルマを走らせていたとか。405を爽快に飛ばしていく感じが出ている。昔ネルソン・リドルがTVシリーズのために書いた「ルート66」を連想させてくれる。
Aブルー・イン・グリーン
ジョンが大好きなマイルス・デイヴィスのアルバム『カインド・オブ・ブルー』(1959年・コロムビア)からの選曲。作曲はもちろんマイルス自身。
Bワン・フォー・ア・フレンド
これもジョンのオリジナルで、ルー・ゲーリック病に襲われた親友のビル・トーブマンに捧げられたナンバー。フルートの奏でるメランコリックな旋律が大変印象的だ。作曲家としてのジョンの実力を証明する1曲。
Cカタリーナ
カタリーナはロングビーチの先にある風光明媚なリゾートの島で、ここでしばしば演奏してきたジョンのオリジナル曲だが、どこか東洋的な響きがある。カタリーナといえば、ハリウッドのサンセット大通りに面したビルの一角に同じ名前のジャズ・クラブ(レストラン&バー)があるが、そちらはオーナーの名前からとったとか。
Dアプシデイジアム
タイトルは、赤ん坊を抱き上げる時の掛け声「高い高い=upsy-daisy」から来ている。ジョンがR・オコンネルと共作したオリジナルで、1979年に初レコーディングを行い、以来重要なレパートリーになっている愛らしい、しかし哀愁を帯びたメロディアスな曲。
Eシークレット・ラヴ
1953年のミュージカル映画『カラミティー・ジェーン』の主題歌で、ドリス・デイが歌ってアカデミー主題歌賞を受賞した。作曲はサミー・フェイン。ドリス・デイの歌をラジオで聴いて気に入り、レコーディングしたという。
F枯葉
1947年にジャック・プレヴェールが作詞、ジョセフ・コスマが作曲したシャンソンで、ジョニー・マーサーが1950年に英詞を書き、アメリカにも広まった。ジャズ・ミュージシャンも積極的に取り上げてきたが、本トラックはビル・エヴァンスがジェレミー・スタイグ(fl)と再演した『ホワッツ・ニュー』(1969年・ヴァーヴ)収録のレコードを想起させる。
G風にまかせて
1960年にウェストコーストのピアニスト、ヴィンス・ガラルディが発表した作品で、1962年にレコーディングされたヴァンス自身のファンタジー盤がビルボード・チャートの22位にランクされ、グラミー賞のオリジナル・ジャズ作曲賞を受賞している。クインシー・ジョーンズがアルバム『クインシー・ジョーンズ・プレイズ・ヒップ・ヒッツ』(1963年・マーキュリー)で、ジョージ・ベンソンが『グッド・キング・バッド』(1975年・コロムビア)でとり上げた。
Hソング・フォー・マイ・ファーザー
ホレス・シルヴァーが同名のアルバム(1963年・ブルーノート)で発表したファンキーな名曲。ジョンは、ホレスとはまったく違う、明るく透明感のある色彩感覚で演奏している。




(2007年1月17日 三具保夫)
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