Cool Beauty, Diane Hubka
輸入盤でしか聴くことが出来なかったダイアン・ハブカだが、CDが昨年(2007年)SSJレーベルからたて続けに2枚発売され大好評だった(『ザ・ルック・オブ・ラヴ』『ヌアージュ+1』)。ダイアンはこの余勢を駆って暮れに初来日し、およそ2週間の日本ツアーを行った。このアルバムはツアー中盤、東京渋谷のJZ Bratでのパフォーマンスを収録したダイアンにとって初めてのライヴ盤である。
エモーショナルだけれどクールで抑制が効いているのがダイアン・ハブカの魅力である。Cool Beautyは女優グレース・ケリーの枕詞だが、歌手でこの詞がふさわしい女性といえばダイアン・ハブカだろう。美しい金髪に上品な顔立ち。育ちの良さを感じさせる立ち居振る舞い。それでいながら語尾にかかるヴィブラートからは女の情念ともいうべきものが立ち昇る。こうした持ち味の女性シンガーを愛したのはスタン・ケントンで、ジューン・クリスティやクリス・コナーその他を擁した。もしダイアンが1950年代に生きていたら間違いなくケントンの眼にとまっただろう。
ダイアン・ハブカはニューヨーク・シティの北郊、ブライアクリフという町の出身。12歳のときに母親の故郷であるメリーランド州に移り、州内フロストバーグ市にあるメリーランド大学で歴史と会計学を学んだ。幼い頃からいくつかの楽器を手にしたが、最終的に選んだのがギター。ジャズに開眼したのも大学時代にギターを学んだビル・ビットナーという教師の影響だった。
大学卒業後、ワシントンDCで歌い始め当地の名門「ブルーズ・アレイ」などに出演。その後ニューヨークに進出して「ブルーノート」「バードランド」「ニッティング・ファクトリー」等一流のクラブで活躍してきた。
2003年からはウエスト・ハリウッドに居を移し、現在はロサンゼルスを中心に活動している。しかしその存在はすでにローカル・ミュージシャンの域を超えており、西海岸一帯は無論のこと、シカゴやニューヨークからも出演依頼はひきもきらず、多忙な毎日を送っている。
こんな彼女が単身ギターを携えて成田空港に降り立ったのが2007年11月28日のことだった。
歌い方や声質から推して「Cool Struttin'」という言葉が似つかわしいような女性ではないかと多少心配していたのだが、この予想は見事に外れた。周囲に余分な気を遣わせない配慮と思いやりを備えた女性で、気取りや高慢さは微塵もない。しかも笑顔の素敵な美人だから接した誰もが自然に魅了されていく稀な人徳の持ち主である。
来日の翌日は森田潔(pf)、谷口雅彦(b)、山下暢彦(dms)ら3人の日本側のミュージシャンとのリハーサルだったが、初顔合わせにもかかわらず、こうした人柄のために短時間で打ちとけて音合わせも非常に円滑だった。
この布陣で臨んだのが当アルバムのライヴ・レコーディングである。当日ダイアンは午後3時に青山の滞在先ホテルを出て、タクシーで会場入り。この日は音声収録と同時に映像収録も行った。ご当人はかなり緊張しているともらしていたが、お聴きになっておわかりのように会場を圧する堂々たる歌いっぷりである。過去4枚のスタジオ収録盤にくらべてもはるかにエモーショナルで、その声からは艶と輝きに加え強ささえ感じられる。このライヴを通じてさらにシンガーとしてのスケールをひとまわり大きくしたというのが当夜の多くの聴衆の声だった。
1. アイ・ライク・イット・ヒア
シナトラ好みのソングライターであるアレック・ワイルダーの作品。淡彩な作風だが実に繊細微妙に人情を穿つ作品が多く、玄人筋の受けがよろしい。「今宵皆さんと一緒にここJZ Bratで過ごせて幸せです」というダイアンの心が明るい声とともに伝わってくる。
2. おいしい水
ヴィニシウス・ジ・モラエス作詞、アントニオ・カルロス・ジョビン作曲、英詞はノーマン・ギンベル。アストラッド・ジルベルトが歌ってヒットした。代表的なボサノヴァ・ナンバーだが、ここでのダイアンはボサの持つレイジーな気分をかなぐり捨てて、力強く押してくる。
3. エンジェル・アイズ
アール・ブレント作詞、マット・デニス作曲の1953年の作品。フランク・シナトラが傷心の男心を歌って絶品ともいえる作品を残したからか、女性にとってはちょっと歌いにくい曲かもしれない。自棄酒の気分はダイアンには似つかわしくないが、そこは丁寧な歌いこみで見事に女性の悲しみを歌い上げた。
4. フェイセズ
ジョージ・シアリングやシナトラ最後のギタリストをつとめたロン・アンソニーのメロディーにアーサー・ハミルトンが歌詞をつけたもの。アーサー・ハミルトンはジュリー・ロンドンが歌った「クライ・ミー・ア・リヴァー」の作詞・作曲者。ダイアンは得意の7弦ギターを使いスキャットもまじえた弾き歌いを聴かせる。
5. ゲット・アウト・オブ・タウン
コール・ポーターが1938年にブロードウェイ・ミュージカルの『Leave It To Me!』のために書いた作品。初演はタマラが歌った。これは同じ傷心でも女性向きの歌で、エラやアニタ・オデイが名唱を残している。ダイアンはあまり歌われないヴァースからしっかりと歌い、コーラスはミディアム・アップで快調にとばし、女の真情を吐露してみせる。
6. ユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッド
ヘイヴン・ギレスピー作詞、J・フレッド・クーツ作曲。思慕の情を歌った名曲で全スタンダード中でも屈指の名品。圧巻はその詩の美しさにあり、これを情趣も豊かに歌いこなすにはまず一語一語のクリアな発音、ついで的確な表現力を要する。古今男女をとわず多くのシンガーが手掛けたが、ダイアンは真っ向勝負でこの難曲に挑み、7分を超える熱唱でどの先人にもひけをとらない境地を示した。
8. ギヴ・ミー・ザ・シンプル・ライフ(日本盤ボーナス・トラック)
ハリー・ルビー作詞、ルーブ・ブルーム作曲の愉快な歌。「すっきり生きたいわ」という歌詞が豊富な語彙、巧みな脚韻を踏まえながら綴られていく。ダイアンはこれを快調にとばしながら耳に心地よい、文字通りスカッとした曲に仕立てあげた。言葉の発音の美しさもCool Beautyダイアンの美点だ。
8. ジンジ
アロイジオ・ジ・オリヴェイラ作詞、アントニオ・カルロス・ジョビン作曲。フランク・シナトラが名唱を残した英詞はレイ・ギルバート。ダイアンもこの英詞で歌う。静謐のなかに熱い情熱を感じさせるダイアンお得意の歌唱の粋を聴かせる。
9. 午前4時のバラード
これもロン・アンソニーの曲で、サミー・カーンが詞をつけた。ロンはシナトラに歌ってもらいたいと熱望したそうだが、ついにその機会がおとずれることはなかった。ピアノ・トリオの伴奏はここではお休み。ダイアンの7弦ギター弾き歌いの魅力一杯である。6弦ギターを弾いていたダイアンが7弦を使い始めたのは2002年。彼女と今も親交のある名手ハワード・アルデンによれば、7弦ギターと声は理想的なコンビネーションをつくるが双方に卓越した者は少なく、ダイアンはその稀な成功例だという。
10. ヴァーモントの月
ジョン・ブラックバーン作曲、カール・スースドーフ作詞。自然が美しいヴァーモントの情景、そこに輝く月光が情緒豊かに綴られる名曲。通常はスロー・テンポで演奏され歌われることが多いが、ダイアンはミディアムで軽快にスウィングさせる。セカンド・コーラスでは原曲を大胆にフェイクしてアドリブに堪能なところを聴かせる。
11. サム・オブ・マイ・ベスト・フレンズ・アー・ザ・ブルース
ウディ・ハリス、アル・バイロンによるブルースの名曲。ジミー・ウィザースプーンが名唱を残している。ブルースはダイアンには似つかわしくないという印象があるが、どうしてなかなか骨太の歌いっぷりはペギー・リーを彷彿とさせる。
12. オール・マイ・トゥモローズ
サミー・カーン作詞、ジミー・ヴァン・ヒューゼン作曲。恋の歌も様々だが流石はサミー・カーン、単純に惚れたはれたは歌わない。恋にすがって生きようとする切ない心を淡々と綴ってシナトラの名唱を生み出した。ダイアンはさらにこの曲に女心の遣る瀬なさを加味して見事。
13. ワン・ノート・サンバ
アントニオ・カルロス・ジョビンのお馴染みのボサノヴァ・ナンバー。この器楽的な曲の英詞は適任者ジョン・ヘンドリックスがつけている。ダイアン得意曲のひとつで自在のアドリブが聴きどころ。そして、森田潔トリオによるチェイサーで感動の『ダイアン・ハブカ・イン・東京』の幕が閉じる。ここで特筆すべきはトリオ3人の伴奏の技量で、強力にダイアンをバックアップしながら立場をわきまえ出過ぎず目立たず、その差し引きの巧妙さは抜群。ライヴを聴きとおして快い満足感がひろがるのは預かってか彼らの功績である面も大きい。
さてダイアン初のライヴは、彼女の実力を遺憾なく発揮する格好の舞台となった。彼女はスタンダードやジャズ・ナンバーから独自の主張で選曲し、これを時代にマッチした感覚で歌う今だ成長中のシンガーであることを示した。グレース・ケリーを愛した大監督ヒッチコックは彼女を「雪をかぶった噴火山」また「セクシャル・エレガンス」とも評したそうだが、ジャズ界のCool Beautyダイアン・ハブカにはこの言葉も似合いそうだ。今も進化し続けるダイアンがますますCool, emotional and beautifulなシンガーになっていく過程が楽しみである。