@ユア・センセーショナル
1956年コール・ポーターの作詞作曲。ミュージカル映画『上流社会』(1956)の中でシナトラが歌った。シナトラの歌はこの映画のDVD(ワーナー・ホーム・ビデオ)とサントラ盤CD(キャピトル)に入っている。
A待ちわびて
1965年にアロイージオ・ヂ・オリヴェイラが作詞(ポルトガル語)、アントニオ・カルロス・ジョビンが作曲したボザノヴァ曲で、英詞はレイ・ギルバート。シナトラのレコードは『フランシス・アルバート・シナトラ&アントニオ・カルロス・ジョビン』(1967・リプリーズ)に収録。
Bナイス・ン・イージー
アラン・バーグマンとマリリン・キースが作詞、ルー・スペンスが作曲した。シナトラのキャピトル・アルバム(1960)のタイトル曲だが、まずシングル盤でリリースされ、ビルボード・チャート60位の中ヒットとなった。
Cドリンキング・アゲイン
1962年にジョニー・マーサーが作詞、ドリス・トーバーが作曲した。ダイナ・ワシントンのテンションの高い歌(ルーレット)に対し、シナトラは暗く打ち沈んだブルー・バラード的なアプローチで違いを際立たせた。1967年のアルバム『ザ・ワールド・ウィー・ニュー(心の旅路)』(リプリーズ)に収録。
Dアイ・ソート・アバウト・ユー
1939年にジョニー・マーサーが作詞、ジミー・ヴァン・ヒューゼンが作曲した。シナトラのレコードは『ソングズ・フォー・スインギン・ラヴァーズ』(1956・キャピトル)に収録。
E過ぎし夏の想い出
1946年にサミー・カーンが作詞、ジューリィ・スタインが作曲して、シナトラのコロンビア盤がヒット・チャートの8位まで上昇した。ファンのリクエストで来日してからプログラムに追加された。
Fタンジェリン
1942年にジョニー・マーサーが作詞、ヴィクター・シャーツィンガーが作曲した。ジミー・ドーシー楽団の歌姫ヘレン・オコンネルの当たり曲として有名だ。シナトラの歌は『シナトラ・アンド・スインギン・ブラス』(1962・リプリーズ)に収録。バラード歌手ピンキーがスイング・ナンバーにも秀でていることを証明した1曲。
Gア・タイム・フォー・ラヴ
ノーマン・メイラーの小説『アン・アメリカン・ドリーム』の映画化(1966・邦題は『殺しの逢びき』)のためにポール・フランシス・ウェブスターが作詞、ジョニー・マンデルが作曲したアカデミー主題歌賞ノミネート曲。シナトラのレコードはないが、JZ Bratでの歌が大変感動的だったこととシナトラにも歌ってほしかったので、ピンキーに歌ってもらった。
Hザ・チャーム・オブ・ユー
1944年にサミー・カーンが作詞、ジューリィ・スタインが作曲して、ミュージカル映画『錨を上げて』(1945)でシナトラが歌った。シナトラに夢中だった少女時代のピンキーが、映画の中で歌うシナトラを聴いてうっとりとした思い出のナンバー。
I霧深き日
1937年にアイラ・ガーシュインが作詞、ジョージ・ガーシュインが作曲して、ミュージカル映画『踊る騎士(ナイト)』でフレッド・アステアが紹介した。シナトラのレコードは2種類あり、アルバム『ソングズ・フォー・ヤング・ラヴァーズ』(1953・キャピトル)と『リンガ・ディン・ディン』(1960・リプリーズ)に収録されている。ピンキーは「銀座、東京タワー、三越、皇居に行きました」と前置きして、第1コーラスで「ロンドン」を「東京」、「大英博物館」を「皇居」に替えて観客を喜ばす。
Jプア・バタフライ
ジャコモ・プッチーニのオペラ『蝶々夫人』を念頭に、1916年にジョン・ゴールデンが作詞、レイモンド・ハベルが作曲した。サラ・ヴォーンの名唱(マーキュリー)で有名だが、シナトラはデューク・エリントン楽団との共演アルバム『フランシス・A&エドワード・K』(1967・リプリーズ)で歌っていた。バラード・シンガーとしてのピンキーの力量を示した1曲。
Kダンシング・イン・ザ・ダーク
1931年にハワード・ディーツが作詞、アーサー・シュワルツが作曲した。シナトラは『カム・ダンス・ウィズ・ミー』(1959・キャピトル)でハードにスイングしていたが、ピンキーは自分の持ち味を生かしてしなやかにスイングする。
Lプット・ユア・ドリームズ・アウェイ(夢をふりすて)
ルース・ロウが作曲、ポール・マンとステファン・ワイスが作曲して1942年に出版された。シナトラはラジオやTVショウのクロージング・テーマに使っていた。ピンキーはアルバム『レイン・サムタイムズ』でも歌っているが、シナトラに敬意を表してクロージング曲に選んだ。シナトラが歌わなかったヴァースが貴重だ。
Mアイヴ・ガット・ザ・ワールド・オン・ア・ストリング
1932年にテッド・コーラーが作詞、ハロルド・アーレンが作曲した。シナトラはステージでしばしばオープナーとして使ったが、ピンキーはアンコールに持ってきた。