『ワールド・オン・ア・ストリング』/ピンキー・ウィンターズWorld On A String:Pinky Sings Sinatra Live In Tokyo/Pinky Winters

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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sinatra society of japan
TOPSinatra Society of Japan presents新録音シリーズ>『ワールド・オン・ア・ストリング』/ ピンキー・ウィンターズ

『ワールド・オン・ア・ストリング』/
ピンキー・ウィンターズ
World On A String:
Pinky Sings Sinatra Live In Tokyo/
Pinky Winters
特別価格
 (XQAM-1503)
SSJ 原盤
2006年録音  
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  「幻のシンガー」ピンキー・ウィンターズが、敬愛するフランク・シナトラへ捧げた最新作。 2006年12月15日、静かな感動で会場を包み込んだ東京でのパフォーマンスを記録した 貴重なライヴ盤。
 


1. You're Sensational/ユア・センセーショナル >>試聴
2. If You Never Come to Me/待ちわびて>>試聴
3. Nice 'n' Easy/ナイス・ン・イージー>>試聴
4. Drinking Again/ドリンキング・アゲイン >>試聴
5. I Thought About You/アイ・ソート・アバウト・ユー>>試聴
6. The Things We Did Last Summer/過ぎし夏の想い出>>試聴
7. Tangerine/タンジェリン>>試聴
8. A Time for Love/ア・タイム・フォー・ラヴ>>試聴
9. The Charm of You/ザ・チャーム・オブ・ユー>>試聴
10. A Foggy Day/霧深き日>>試聴
11. Poor Butterfly/プア・バタフライ>>試聴
12. MDancing in the Dark/ダンシング・イン・ザ・ダーク>>試聴
13. Put Your Dreams Away/プット・ユア・ドリームズ・アウェイ(夢をふりすて)>>試聴
14. I've Got the World on a String/アイヴ・ガット・ザ・ワールド・オン・ア・ストリング>>試聴
 

「幻のシンガー」だったピンキー・ウィンターズ

 「幻の名盤」「幻のレコード」という言葉に敏感に反応するファンは少なくない。ピンキー・ウィンターズが1954年に録音した10インチ盤『ピンキー』(ヴァンテージ)など「幻」の最右翼だ。しかもこのデビュー盤に続く1958年録音の『ロンリー・ウーマン』(アーゴ)のあと、結婚・子育てで長らく引退したため、1985年の『レッツ・ビー・バディーズ』(ジャクリーン)まで新譜はなかった。仏ヴァーヴに吹き込まれた1994年の『ハッピー・マドネス』は日本でも翌年ポリドール(現ユニバーサル)からリリースされたが、レーベルの買収騒ぎに巻き込まれて短期間で市場から姿を消してしまった。これではピンキーのレコードを聴きたくても不可能に近い。ピンキー自身まで「幻のシンガー」化してしまった。

 

「幻」を返上したピンキー


 「ピンキー=ヴァンテージ盤」という時代が長く続いたが、そんな状況に変化が現れたのは2005年である。まず8月に2001年録音の米セラードア盤『レイン・サムタイムズ』がボーナス・トラックをくわえて日本で発売され、ピンキー健在をアピールする端緒となった。2006年に入ると、2月に『いそしぎ+1:ジョニー・マンデル作品集』(1983年録音/セラードア原盤)がリリースされ、同じ時期に『ロンリー・ワン』も復刻されるなど、ピンキーへの注目度は急速に高まった。ヴァンテージ盤やアーゴ盤しか知らない昔からのファンは彼女を固定的なイメージで見てしまうが、1980年のカンバック以降にレコーディングされたアルバムには、艶やかさを加えた歌声や歌い方の変化と上達ぶりがハッキリと刻まれている。同06年12月6日には『スピーク・ロウ』(セラードア原盤)が発表されたが、まさにその当日ピンキーは初めて日本の土を踏み、「幻のシンガー」の称号を返上した。
12月6日夕刻に成田に降り立ったピンキーは、翌日を休養&東京見物に充て、8日は伴奏の森田潔(p)、谷口雅彦(b)とリハーサルを行い、準備万端整えた。9日(土)はシナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパンの25周年記念パーティーにスペシャル・ゲストとして招かれ、シナトラ・ナンバーを立て続けに18曲歌って100名を超す参加者を喜ばせた。週が変わって月曜日の11日は渋谷の「JZ Brat」で2ステージ、13日は高田馬場の「アルバート」(二村希一のピアノ)、15日は神田の「TOKYO TUC」、16日はふたたび「JZ Brat」に戻ってプライベート・パーティー(谷口英治セクステットの伴奏)といった具合に精力的にステージをこなした。その間オフの12日には渋谷のカラオケ・バー「アゲイン」でファンとの交流カラオケ合戦に臨むなど、70歳を超えているとは思えないタフネスで皆を驚かせた。実像の彼女は終始陽気でジョーク好き、歌うことが楽しくて仕方ないという様子で、清清しい印象を残して17日の夜ロサンゼルスへと発っていった。
 

『ライヴ・イン・東京』

 本作『ワールド・オン・ア・ストリング』は12月15日(金)に「TOKYO TUC」で行われたステージを収録したものである。ピンキーは日本ツアーに並々ならぬ熱意を示し、秋口までには選曲を終え、来日の1カ月前にはかなり練習に励んだようだ。用意してきた曲はゆうに50曲を超えていたので、ステージでは毎回かなりの曲を入れ替え、中には来日してからリクエストした曲もあった。ピンキーは何でも御座れ、といった風情でリクエストにも気楽に応じてくれたが、ステージで1曲1曲を丁寧に歌い込んでいく様を見ていると、歌に対する洞察と経験に深く根ざした歌唱力にはただただ感服するばかりだった。
早い段階でライヴ・レコーディングしようと決めていた「TOKYO TUC」での歌は、2曲の例外を除いてすでにレコードになっている曲を避けオール・シナトラで固めたが、基本的にはピンキーが選び構成したものである。
ピンキーのキャリアは、高田敬三さん執筆の『レイン・サムタイムズ』のライナーに譲るとして、ここではピンキーが心から賞賛したふたりのサポーターをご紹介しよう。
森田 潔(ピアノ)
1959年埼玉県生まれ。8歳でピアノをはじめ、16歳の頃ジャズと出逢いジャズ・ピアニストになることを決意した。高校在学中より徳山陽氏に師事してジャズ・ピアノと理論を学び、カーメン・マクレイの伴奏者でもあったドン・アブニー氏にも師事。19歳でプロ活動を始め、レイモンド・コンデ(cl)、福原彰(tp)、原田イサム(ds)等々のグループで演奏し、編曲も手掛けたほか、峰純子(vo)の伴奏とレコーディングにも参加した。五十嵐明要(as)グループ、横浜ロイヤルパーク・オーケストラのレギュラーを勤める傍ら、ジャズクラブ、コンサートなどで活動中。ジャズ・ヴォーカルの伴奏を天職と考える貴重な存在。

谷口雅彦(ベース)
1957年愛媛県生まれ。3歳よりバイオリンを始めるが、高い音が苦手で音楽から遠ざかる。高校時代ビートルズがきっかけでベースを始め、関西外国語大学在学中にジャズ・ベーシストとてプロ・デビュー。卒業後ニューヨークでBuster Williams(b)の手ほどきを受け、帰国後は上京して河上修氏(b)に師事する傍らNHK交響楽団の今野京氏よりフレンチ弓奏法の手ほどきを受ける。大井貴司(vib)グループ、五十嵐明要(as)トリオ、横浜ロイヤルパーク・オーケストラのレギュラーだが、最近、自己のユニット“ブリージン”を結成しジャンルを越えて活躍中。





【 曲目 】

@ユア・センセーショナル
1956年コール・ポーターの作詞作曲。ミュージカル映画『上流社会』(1956)の中でシナトラが歌った。シナトラの歌はこの映画のDVD(ワーナー・ホーム・ビデオ)とサントラ盤CD(キャピトル)に入っている。
A待ちわびて
1965年にアロイージオ・ヂ・オリヴェイラが作詞(ポルトガル語)、アントニオ・カルロス・ジョビンが作曲したボザノヴァ曲で、英詞はレイ・ギルバート。シナトラのレコードは『フランシス・アルバート・シナトラ&アントニオ・カルロス・ジョビン』(1967・リプリーズ)に収録。
Bナイス・ン・イージー
アラン・バーグマンとマリリン・キースが作詞、ルー・スペンスが作曲した。シナトラのキャピトル・アルバム(1960)のタイトル曲だが、まずシングル盤でリリースされ、ビルボード・チャート60位の中ヒットとなった。
Cドリンキング・アゲイン
1962年にジョニー・マーサーが作詞、ドリス・トーバーが作曲した。ダイナ・ワシントンのテンションの高い歌(ルーレット)に対し、シナトラは暗く打ち沈んだブルー・バラード的なアプローチで違いを際立たせた。1967年のアルバム『ザ・ワールド・ウィー・ニュー(心の旅路)』(リプリーズ)に収録。
Dアイ・ソート・アバウト・ユー
1939年にジョニー・マーサーが作詞、ジミー・ヴァン・ヒューゼンが作曲した。シナトラのレコードは『ソングズ・フォー・スインギン・ラヴァーズ』(1956・キャピトル)に収録。
E過ぎし夏の想い出
1946年にサミー・カーンが作詞、ジューリィ・スタインが作曲して、シナトラのコロンビア盤がヒット・チャートの8位まで上昇した。ファンのリクエストで来日してからプログラムに追加された。
Fタンジェリン
1942年にジョニー・マーサーが作詞、ヴィクター・シャーツィンガーが作曲した。ジミー・ドーシー楽団の歌姫ヘレン・オコンネルの当たり曲として有名だ。シナトラの歌は『シナトラ・アンド・スインギン・ブラス』(1962・リプリーズ)に収録。バラード歌手ピンキーがスイング・ナンバーにも秀でていることを証明した1曲。
Gア・タイム・フォー・ラヴ
ノーマン・メイラーの小説『アン・アメリカン・ドリーム』の映画化(1966・邦題は『殺しの逢びき』)のためにポール・フランシス・ウェブスターが作詞、ジョニー・マンデルが作曲したアカデミー主題歌賞ノミネート曲。シナトラのレコードはないが、JZ Bratでの歌が大変感動的だったこととシナトラにも歌ってほしかったので、ピンキーに歌ってもらった。
Hザ・チャーム・オブ・ユー
1944年にサミー・カーンが作詞、ジューリィ・スタインが作曲して、ミュージカル映画『錨を上げて』(1945)でシナトラが歌った。シナトラに夢中だった少女時代のピンキーが、映画の中で歌うシナトラを聴いてうっとりとした思い出のナンバー。
I霧深き日
1937年にアイラ・ガーシュインが作詞、ジョージ・ガーシュインが作曲して、ミュージカル映画『踊る騎士(ナイト)』でフレッド・アステアが紹介した。シナトラのレコードは2種類あり、アルバム『ソングズ・フォー・ヤング・ラヴァーズ』(1953・キャピトル)と『リンガ・ディン・ディン』(1960・リプリーズ)に収録されている。ピンキーは「銀座、東京タワー、三越、皇居に行きました」と前置きして、第1コーラスで「ロンドン」を「東京」、「大英博物館」を「皇居」に替えて観客を喜ばす。
Jプア・バタフライ
ジャコモ・プッチーニのオペラ『蝶々夫人』を念頭に、1916年にジョン・ゴールデンが作詞、レイモンド・ハベルが作曲した。サラ・ヴォーンの名唱(マーキュリー)で有名だが、シナトラはデューク・エリントン楽団との共演アルバム『フランシス・A&エドワード・K』(1967・リプリーズ)で歌っていた。バラード・シンガーとしてのピンキーの力量を示した1曲。
Kダンシング・イン・ザ・ダーク
1931年にハワード・ディーツが作詞、アーサー・シュワルツが作曲した。シナトラは『カム・ダンス・ウィズ・ミー』(1959・キャピトル)でハードにスイングしていたが、ピンキーは自分の持ち味を生かしてしなやかにスイングする。
Lプット・ユア・ドリームズ・アウェイ(夢をふりすて)
ルース・ロウが作曲、ポール・マンとステファン・ワイスが作曲して1942年に出版された。シナトラはラジオやTVショウのクロージング・テーマに使っていた。ピンキーはアルバム『レイン・サムタイムズ』でも歌っているが、シナトラに敬意を表してクロージング曲に選んだ。シナトラが歌わなかったヴァースが貴重だ。
Mアイヴ・ガット・ザ・ワールド・オン・ア・ストリング
1932年にテッド・コーラーが作詞、ハロルド・アーレンが作曲した。シナトラはステージでしばしばオープナーとして使ったが、ピンキーはアンコールに持ってきた。






(2007年1月30日 三具保夫)
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