『ブルー・ホリデイ+1』/ジョニー・ホリデイ  Blue Holiday +1/Johnny Holiday

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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TOPSinatra Society of Japan presentsスタンダード・ヴォーカル・アルバムの復刻・発掘>『ブルー・ホリデイ+1』/ ジョニー・ホリデイ

『ブルー・ホリデイ+1』/
ジョニー・ホリデイ
Blue Holiday +1/
Johnny Holiday
特別価格
(XQAM-1014)
Contract 原盤 ⇒ Impasse
1961/2005年録音 世界初CD登場・日本初登場
>>購入する  

   ジョニー・ホリデイはもうひとりのジョニー(=ハートマン)にも通じる、セクシーなムードと危険な香りを漂わせたディープ・ボイスの白人クルーナー。4枚ある彼のアルバムの中でも最も入手困難だった超レアな1枚をマスターテープから復刻。バックはクロード・ウィリアムソンのトリオ。あわせて44年後の歌を1曲追録したが、年月の隔たりをまったく感じさせない。驚異というほかない。 
 


1. You Don't Know What Love Is/ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ  >>試聴
2. No One Ever Tells You/ノー・ワン・エヴァー・テルズ・ユー>>試聴
3. Guess I'll Hang My Tears Out to Dry/涙にぬれて>>試聴
4. For Every Man There's a Woman/フォー・エヴリ・マン・ゼアズ・ア・ウーマン>>試聴
5. These Foolish Things/ジーズ・フーリッシュ・シングズ>>試聴
6. I've Gotta Right to Sing the Blues/ブルースでも歌おう>>試聴
7. Too Late Now/トゥー・レイト・ナウ>>試聴
8. I Remember You/アイ・リメンバー・ユー>>試聴
9. My Love Left Town/マイ・ラヴ・レフト・タウン>>試聴
10. It's Easy to Remember/イッツ・イージー・トゥ・リメンバー>>試聴
11. The Things We Did Last Summer/過ぎし夏の想い出  >>試聴
12. It Might As Well Be Spring/春の如く  (ボーナス・トラック)>>試聴

パーソネル:
ジョニー・ホリデイ(vo)、クロード・ウィリアムソン(p)、デューク・モーガン(b)、
チャック・フローレス(ds) (ボーナス・トラック) ジョニー・ホリデイ(vo)、ロン・エルドリッチ(cl)、
ジョン・ベック(g)、マーク・コープランド(p)、 デイヴィッド・フィンク(b)、デイヴィッド・ラス(ds)、
サミー・ファーガソン(bongo)

 


 
 世の中には、「隠れた名作」というものがあるが、このアルバムは、そんな作品の一つといっても良いものではなかろうか。「ジョニー・ホリデイ?」「それ誰?」という疑問を持つ人が多く、よっぽどのジャズ・ボーカル・ファンでないと彼の名前は、ピンと来ないかもしれない。彼は、知る人ぞ知る、バリトン・ヴォイスのバラード・シンガーなのだ。2004年にアメリカのファンタジー(コンテンポラリー)・レーベルから『ジョニー・ホリデイ・シングス』というCDが発表になって「彼は、まだ元気だったんだ。」と存在が再認識された。この時のアルバムは、彼が、1954年に吹き込んだ10インチのLPに1998年吹き込みの新しい録音13曲を加えて作ったものだった。驚くべきは、両録音の間に約45年の歳月が流れているのに、ジョニー・ホリデイの声は、全く衰えを見せることなく素晴らしい歌を聞かせ、ぜんぜん違和感を感じさせなかったことだ。

 そして今回SSJレーベルからリリースされる本アルバムは、彼が1961年にコントラクト・レーベルに吹き込んだ大変貴重なレコードだ。コントラクト・レーベルからはピアニストのクロード・ウィリアムソンのアルバムが出ているが、ジョニー・ホリデイが本アルバムを録音した後、潰れてしまったので、このレコードは、正規には殆ど市場には出なかったものだという。コレクターズ・アイテムとして一部のヴォーカル・ファンが追い求めていたものだ。ジョニー・ホリデイは、作者の意図を十分理解したうえで歌を非常に丁寧に表現する歌手だ。失恋のバラードを集めて歌ったこのアルバムは、彼のそんな持ち味が100パーセント生かされている。同じジョニーのジョニー・ハートマンのバラードにも引けをとらない素晴らしい歌を聞かせてくれる。彼の作品の中ではベストに挙げられるアルバムだ。彼は、作詞家のサミー・カーンに好かれたというだけに、サミー・カーンの歌と縁の深いフランク・シナトラの愛唱歌を多く取り上げている所も興味深い。

 ジョニー・ホリデイは、1924年10月3日にシカゴで生まれた。11歳の頃からドラマーとして、地元のクラブで活躍を始め、クラシックのヴォイス・トレーニングを受けて歌も歌い始める。21歳の頃、アコーデオン奏者のドン・オルランドのバックで「トゥー・マーヴェラス・フォー・ワーズ」をシカゴのマイナー・レーベルへ録音した。大変魅力的なヴォイスだったので、作詞、作曲家の為に彼らが書いた新しい歌を宣伝する、所謂、「ソング・プラガー」の仕事を始める。とにかく、歌うことが大好きだった。その後、応召され、ヨーロッパ戦線でグレン・ミラー楽団のゲストとして歌ったりもした。除隊した後は、シカゴへ戻り、自分のジャズ・グループを作り、ドラマー兼シンガーとして活躍する。ルーリン・ハンターとデュエットで歌ったこともあったという。1953年にシカゴのユナイテッド・レーベルに「ウィズ・オール・マイ・ハート」と「ホワイ・シュッド・アイ・クライ」の2曲をシングル盤用に録音する。その後、より大きな活動の場を求めて、西海岸へ移る。プロモーション・レコードを作り、いろいろなレコード会社にアプローチする中、メジャーのキャピトル・レコードの目に留まり、レコーディングの機会を得てデニス・ファーノンのバンドをバックに4曲を録音するが、レコードにはならなかった。その後、再び、「ギルティ」、「イフ・アイ・シュッド・ミート・アゲイン」他2曲を録音、シングル盤で発表された。然し、ドラマティックに歌うことを強要され、彼の意には沿わない結果だった。

 スタンダード・ナンバーの「テンダリー」の作者として有名はウォルター・グロスの紹介で、パシフィック・ジャズ・レコードのディック・ボックへデモ・レコードを送り、これがボックに気に入られて、パシフィック・ジャズの子会社のパシフィカ・レーベルから初アルバムを出すことになる。これは、10インチ・アルバムだった。バド・シャンク、バーニー・ケッセル、シェリー・マン等を含むラス・ガルシアのバンドの伴奏で吹き込まれたこのアルバムは、前記の最近出たコンテンポラリーのCDにすべて収録されている。この10インチ・アルバムが売れれば2枚目のアルバムの予定もあったが、残念ながら、売れ行きは不満足なもので、2枚目の計画は実現しなかった。然し、1956年にキャップ・レコードから同じくラス・ガルシアのオーケストラをバックに12インチのアルバム『プリゼンティング・ジョニー・ホリデイ』を発表することになった。レッド・ノーヴォ、ローリンド・アルメイダ、シェリー・マンなどのプレイヤーも参加して、「ザ・モア・アイ・シー・ユー」、「インディアン・サマー」などのスタンダード曲に「フレネシー」、「アディオス」などのラテン・ナンバー、そして、本アルバムでも歌っている自作の「マイ・ラヴ・レフト・タウン」など12曲を歌うポップな味わいのものだった。そして、翌57年にマーティ・ペイチ(p)のグループ、つまりボブ・エネボルドセン(vtb)、ジャック・シェルドン(tp)、ロニー・ラング(bs、cl)、ハーブ・ゲラー(as, cl)、ヴィンス・デローサ(flh)、マックス・ベネット(b)、メル・ルイス(ds)の伴奏で『ホリデイ・フォー・ラヴァーズ』という、よりジャジーなアルバムをモード・レーベルから発表している。

 1960年にジョニー・ホリデイは、ジョー・ニューマンをリーダーにしたカウント・ベイシー楽団のセレクト・メンバーとヨーロッパ・ツアーを行った。このツアーは成功で、現地のエージェントから、ヨーロッパへ留まって仕事をしないか、というオファーもあったという。しかし、それを断ってアメリカへ戻り、ハリウッドのアニメーション・スタジオでアニメーション声優とサウンド・エディターの仕事をする。軽音楽界は、ロックンロールに席巻されて、彼は歌の仕事の場所を失って、ホテルのアシスタント・マネージャーとか他の歌手のマネージャー等もやった。1970年には自動車事故で長期入院という不幸にもあったが、怪我から回復してからも歌手の仕事を追い求め続け、スティーヴ・アレンやサミー・カーンの作った歌の宣伝用のデモ・レコード等も作っている。1998年にテリー・ギブスのグループをバックに録音したものは、前記のコンテンポラリーのアルバムで聞くことができる。本CDにもボーナス・トラックとして2005年に録音された1曲が追加されている。この曲「春の如く」でもおわかりいただけようが、80歳を過ぎた今でも歌っており、その若わかしい張りのあるバリトン・ヴォイスには驚かされる。最近も自主制作の新旧の録音から編集した『ラヴ・アメリカン・スタイル』、『サルート・トゥ・ビリー・ホリデイ』、『ソングス・オブ・アントニオ・カルロス・ジョビン』、『ビッグ・バンド・スイングス』といったアルバムを発表して、老いてますます盛んなところを見せている。



【演奏メンバー】
1 - 11:クロード・ウィリアムソン(p)、デューク・モーガン(b)、チャック・フローレス(ds)
12:   ロン・エルドリッチ(cl)、ジョン・べック(g)、マーク・コープランド(p)、デヴィッド・フィンク(b)、    デヴィッド・ラス(ds)、サミー・ファーガソン(bongo)  






【 曲目 】

(1)ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ
ドン・レイとジーン・デ・ポール作詞作曲。1941年のアボット=コステロのミュージカル映画『凸凹空中の巻』の中で歌われた。「恋とは何でしょう、それは、貴方が恋を失って初めて分かるでしょう」といった歌をジョニー・ホリデイは、優しい語り口で歌う。クロード・ウィリアムソンの綺麗なピアノのソロも中間部で聴ける。

(2)ノー・ワン・エヴァー・テルズ・ユー
キャロル・コーツとハブ・アトウッド作詞作曲。フランク・シナトラが1956年のアルバム『ア・スインギン・アフェア』の中で歌った。「恋を失うということは、どういうことか誰も教えてくれなかった」という歌。ジョニー・ホリデイは、サビの部分を最初にヴァースのようにアカペラで歌い、ブルーなムードで好唱する。

(3)涙にぬれて

サミー・カーン作詞、ジュール・スタイン作曲。1944年のミュージカル『グラッド・トゥ・シー・ユー』の中で紹介された。シナトラやダイナ・ショアの歌で有名だが、ジョニー・ホリデイは、「ザ・トーチ・アイ・キャリー・イズ・ハンサム」から始まるヴァースを除きいきなり本題へはいり、一人部屋でうじうじと失った恋を想うという感じでテンポを遅らせて歌いきる。

(4)フォー・エヴリマン・ゼアズ・ア・ウーマン
レオ・ロビン作詞、ハロルド・アーレン作曲。1948年の映画『カスバ』の中でトニー・マーチンが歌った。ペギー・リーの歌でもヒットしている。「世界が始まっていらい、どの彼にも、彼女がいるのです。彼女を探しましょう」といった歌をクロード・ウィリアムソンのピアノのイントロを受けて、ジョニー・ホリデイは甘く語りかける

(5)ジーズ・フーリッシュ・シングズ
ホルト・マーヴエル(エリック・マスチウィズの変名)作詞、ジャック・ストレイキーとハリー・リンク作曲。1935年のミュージカル『スプレッド・イット・アラウンド』の中で紹介された。ジョニー・ホリデイは、ここでもサビの部分を先に持ってきて歌いしっとりとしたムードで聞かせる。

(6)ブルースでも歌おう
テッド・コーラー作詞、ハロルド・アーレン作曲。1932年のミュージカル『アール・キャロルの1932年のヴァニティ』の中で紹介された。ピアノのイントロからはいり、情感のこもったブルースを聞かせる。クロード・ウィリアムソンのピアノのソロも聞ける。

(7)トゥー・レイト・ナウ
アラン・ジェイ・ラーナー作詞、バートン・レーン作曲。1951年のフレッド・アスティア主演のミュージカル映画『ロイヤル・ウェディング(恋愛準決勝戦)』の中で紹介された。「貴女の微笑みが忘れられない、貴女を忘れて他の女をなんて考えられない」といった歌をジョニー・ホリデイは、しっとりとしたムードの中で歌いきる。

(8)アイ・リメンバー・ユー

ジョニー・マーサー作詞、ヴィクター・シャーツィンガー作曲。1942年のミュージカル映画『ザ・フリーツ・イン』の中で歌われた。ジョニー・ホリデイは、超スローなテンポで一言一言かみ締めるように歌っている。

(9)マイ・ラヴ・レフト・タウン
ジョニー・ホリデイ、フランク・ラヴェレ、ティム・ゲイル作詞・作曲。「私の彼女が町を出て行ってしまって以来、悲しみにくれている。彼女が私を想っていてくれれば、帰ってきてくれればと願う」といった自作のナンバー。ピアノのイントロからスローにスイングしながら歌う。中間部でピアノ・ソロもフィーチャーされる。

(10)イッツ・イージー・トゥ・リメンバー
ロレンツ・ハート作詞、リチャード・ロジャース作曲。1935年の映画『ミシシッピー』の中で主演のビング・クロスビーが歌った。「私たちが会ったときに見せた、貴女の優しい言葉遣い、微笑み、忘れようにも忘れられない」という恋の歌をジョニー・ホリデイは素晴らしい表現力で歌う。

(11)過ぎし夏の思い出
サミー・カーン作詞、ジュール・スタイン作曲。1946年の作品。シナトラや、ジョー・スタッフォードの歌が有名。「この間の夏にあんなに輝いていた私たちの間柄、秋になり木々の葉の色が変わるように衰えてしまった。」という歌を、ジョニー・ホリデイは寂寞感溢れる素晴らしい歌で聞かせる。

(12)春の如く (ボーナス・トラック)
オスカー・ハマースタイン・ジュニア作詞、リチャード・ロジャース作曲。1945年のミュージカル映画『ステート・フェア』の中で歌われた。オリジナル・アルバムの曲ではなく、2005年の新たな録音のボーナス曲。アップ・テンポで歌うジョニー・ホリデイの声に全く衰えが見えないのは驚異としかいいようがない。




(2006年10月11日 高田敬三)
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