『エンジェル・アイズ+2』/ディック・アンド・キズ・ハープ Dick And Kiz Harp At The 90th Floor/ Dick & Kiz Harp

フランク・シナトラ Frank Sinatra SSJ Presents CD

sinatra society of japan

Frank Sinatra フランク・シナトラ

スタンダード・ヴォーカル、ジャズ・ヴォーカルのトップ・スター=フランク・ シナトラ。
シナトラ・ソサエティ・オブ・ジャパン(Sinatra Society of Japan)は、 1981年12月13日、
シナトラの67歳の誕生日の前日、 つまりアメリカ時間で当日に、 熱心なシナトラ・ファン4人によって設立されました。

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TOPSinatra Society of Japan presentsスタンダード・ヴォーカル・アルバムの復刻・発掘>『エンジェル・アイズ+2』 /ディック・アンド・キズ・ハープ

『エンジェル・アイズ+2』/
ディック・アンド・キズ・ハープ
Dick And Kiz Harp At The 90th Floor/
Dick & Kiz Harp
特別価格
 (XQAM-1005)
90th Floor 原盤
1959年録音 日本初登場
>>購入する  

   王者ジャッキー&ロイに迫る個性と実力を持ちながら、飛翔する直前に終焉を迎えねばならなかった悲劇のヴォーカル・デュオの日本初登場。独特の洒脱さとウィットは半世紀近くたった今も語り継がれている。
 


1. Down In The Depths On The 90th Floor/ダウン・イン・ザ・デプスス>>試聴
2. Inch Worm/インチ・ワーム>>試聴
3. Too Good For The Average Man/トゥー・グッド・フォー・ジ・アベレージ・マン>>試聴
4. Angel Eyes/エンジェル・アイズ>>試聴
5. You Are Not My First Love/ユー・アー・ノット・マイ・ファースト・ラヴ>>試聴
6. I Like It That Way/アイ・ライク・イット・ザット・ウェイ>>試聴
7. Lazy Afternoon/レイジー・アフターヌーン>>試聴
8. Ugly Duckling/アグリー・ダックリング>>試聴
9. There Are Days When I Don't Think Of You At All/ゼア・アー・デイズ>>試聴
10. Joey, Joey, Joey/ジョーイ・ジョーイ・ジョーイ>>試聴
11. Thanks For You/サンクス・フォー・ユー>>試聴
12. Too Much In Love/トゥー・マッチ・イン・ラヴ >>試聴
13. Black Coffee/ブラック・コーヒー (ボーナス・トラック)>>試聴
14. County Fair/カウンティ・フェア (ボーナス・トラック)>>試聴
 

ヴォーカル・デュオのむずかしさ

 
  男女によるヴォーカル・デュオはたくさんいるようで、実はそれほどでもない。実際にデュオを組んでいる方から伺った話だが、男性と女性のキーが基本的に違うからだそうだ。同じ歌でも男性が歌う場合と女性が歌う場合ではキーが違うことが多いのは確かだ。ふたりの音楽の方向性や歌唱力の水準、性格的な相性も大事だが、キーや声質のなじみ具合もデュオの相手を選ぶ際には重要になるということだ。

かつて存在した、ジャッキー・アンド・ロイに迫るヴォーカル・デュオ

 
 
 男女ヴォーカル・デュオの第一人者はもちろんジャッキー・アンド・ロイだが、彼らに匹敵する音楽性とエンターテインメント性を備えたグループがかつて存在した。それがディック&キズ・ハープだが、彼らを知る人は多くない。ふたりが活躍したのは1950年代の後半で、リリースされたアルバムは2枚だけ。しかもジャズには無縁のイメージが強いテキサス州ダラスの90th Floor という超マイナー・レーベルだから知らなくて当然、知っているほうがむしろ不思議なくらいである。
  ディック・ハープはインディアナ州エルクハートの出身で、ピアニストとしてシカゴで数年活動したあとインディアナ州のサウスベンドへ移り、この地に住むキジー・アン・ハリスと知り合って結婚し、コンビを組んで再びシカゴへ出てきたが、なかなかうまく行かなかった。その頃シカゴで聴いて好きになったのがミスター・ケリーズに出ていたルーシー・リード(vo)、ディック・マークス(p)、ジョニー・フリゴ(b)のトリオや、アニタ・オデイ、シルヴィア・シムスだった。それでも努力の甲斐あって徐々にシカゴや中西部で知られるようになった1956年1月、ダラスの小さなクラブからオファーがあり、ベーシストのライニー・プレスと初めてテキサスへ赴いた。ふたりのステージは評判が評判を呼び、2週間の契約は50週にまで延長されたほどだった。資金のできたふたりはダラス定住を決意して、ダウンタウンに格好の倉庫を見つけナイトクラブに改造した。そして、得意ナンバーのひとつコール・ポーターの “Down in the Depths on the 90th Floor” に因んで、The 90th Floor という風変わりな名前をつけ、For Listeners Only をモットーにお酒は供しても「演奏中は声を発しないように」というルールを作って、歌や演奏に神経を集中するよう要求した。1956年のことである。
  ふたりのウィットとユーモア、洒落っ気と覇気に満ちたステージはさらに評価を高め、トニー・ベネットやスタン・ケントン、マレーネ・ディートリッヒ、それに大リーガーのミッキー・マントルを始めとするスターやセレブリティーも足を運んだ。このアルバムのオリジナルLPに推薦文を寄せているシルヴィア・シムスもふたりのステージを堪能したひとりである。


デビュー・アルバムの誕生

 
 
 話は変わるが、90th Floor レーベルの設立者ブルース・コリアー(Bruce Collier)がダラスに移って来たのは1958年、20歳そこそこの頃である。ジャズ・ファンだったコリアーがハープ夫妻を知り、親しくなるまでにそう時間は要さなかった。1959年になって、コリアーはふたりのライヴをレコーディングしていいか打診した。その頃までにディック&キズの評判はニューヨークやロサンゼルス、古巣のシカゴにまで達しており、コロンビアやキャピトル、RCA、マーキュリーなどのメジャーからレコーディングのオファーが来ていたが、いずれもホーンやストリングスを交えた仰々しい録音とあって、ふたりの触手はまったく動かなかった。しかし、コリアーの申し出はいつものステージ、普段着のふたりを録音したいという提案である。金も経験もないコリアーはフル・オーケストラとの録音など考えてもみなかったし、思っても出来なかったはずで、結果両者の思いは一致した。コリアーはソニーとアルテックのコンデンサー・マイクとオープンリール・レコーダーを使ってふたりのショウを数ヶ月にわたって録音し、ようやく出来上がったのが“Dick And Kiz At The 90th Floor” と題されたアルバム(本CDのオリジナルLP)である。
  しかし、リリース直前の1959年12月にキズは29歳の若さで脳内出血のため急逝してしまう。予定通りリリースされたアルバムはローカル・レーベルゆえ販売に非常な苦労を伴ったが、ニューヨークやロス、シカゴでも置いてくれるレコード店が徐々に出来てきたし、レナード・フェザーや『ダウンビート』誌もふたりを高く評価してくれた。翌60年には “Again! Dick And Kiz At The 90th Floor” という2作目をリリースして、識者の評価はさらに高まったが、いかんせんここまでであった。ディック・ハープは1963年にクラブを閉め、その後は再婚して写真家となり、長い闘病生活のあと1997年に亡くなった。一方のコリアーは1961年に徴兵されヴィトナムへと出兵して行った。

90th Floor レコードのその後

 
 
 90th Floor Records はディック&キズによる2枚のライヴ盤のほかに、渋いピアノの弾き語りマル・フィッチのスタジオ録音盤 “Mal/Content”(今回同時リリースの『ナイス・ン・イージー』)などを制作したが、コリアーは1963年に除隊してダラスに戻ってきたところで会社をたたんでしまう。
  それから30年経った1993年、コリアーは滞在中のアリゾナ州フェニックスで男女のコーラス・デュオを偶然に聞いて、ディック&キズを思い出し心がざわめいた。彼らと会話をすると、男性の方が「まだ10歳の時、ニューヨークのラジオでディック&キズを聞いて感激してね。だから妻とこうして彼らのレパートリーをやっているのさ」といわれ、さらに驚いた。

  コリアーがレーベルを再興したのはその5年後である。 日本でディック&キズが紹介されるのは今回が初めてである。悲劇的な解散からすでに47年近くが経過してしまったが、アンダーレイテッドを通り越してその存在さえほとんど忘れ去られようとしているこのデュオ・グループに正当な評価が与えられ、カルト的存在から抜け出すことを願うばかりだ。



【 曲目 】

(1)ダウン・イン・ザ・デプスス
  ディック&キズのライヴハウス命名の由来となったコール・ポーターの作品。1936年のブロードウェイ・ミュージカル『レッド・ホット・アンド・ブルー!』でエセル・マーマンが紹介した。都会的でハイブラウな作品であり歌いぶりだ。

2)インチ・ワーム
  シャクトリムシのこと。『野郎どもと女たち』『努力しないで出世する方法』ほか、ブロードウェイとハリウッドで活躍したフランク・レッサー1951年の作品で、翌52年のミュージカル映画『アンデルセン物語』でダニー・ケイが歌った。

(3)トゥー・グッド・フォー・ジ・アベレージ・マン
  1936年のブロードウェイ・ミュージカル『オン・ユア・トウズ』で紹介された、ロレンツ・ハート(作詞)とリチャード・ロジャース(作曲)の作品。あまり取り上げられないが、ブロッサム・デアリーがアルバム『ブロッサム・デアリー、スーブレット・シングズ・ブロードウェイ・ヒット・ソングズ』(ヴァーヴ)で歌っている。ブロッサムやディック&キズのように語り口に味のあるシンガー向きの歌だ。

(4)エンジェル・アイズ
  1953年にアール・ブレントが作詞、マット・デニスが作曲したブルー・バラードの名曲。映画『ジェニファー』(本邦劇場未公開)でマット・デニスが紹介したが、シナトラ・ナンバーのイメージが強い。キズの語り口のうまさが光る。

(5)ユー・アー・ノット・マイ・ファースト・ラヴ
「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」を作ったバート・ハワードがピーター・ウィンザーと1953年に共作した作品。キズの明瞭なディクションが印象的だ。

(6)アイ・ライク・イット・ザット・ウェイ
1960年代の大ヒット・ミュージカル『ハロー・ドーリー!』や『メイム』を書いたジェリー・ハーマンが、『ハロー・ドーリー!』以前の1950年代に書いた無名曲。Bやアルバム第2集に入っている「ウィンター・ウォーム」同様、ディック・&キズは知られざる佳曲を積極的に紹介した。 ?

(7)レイジー・アフターヌーン
1954年にジョン・ラトゥーシュが作詞、ジェローム・モロスが作曲した実に気だるいナンバーで、ブロードウェイ・ミュージカル『ザ・ゴールデン・アップル』で紹介された。このトラックに限らないが、キズの歌はナンシー・ウィルソンの声質とフレージングを思わせる時がしばしばある。

(8)アグリー・ダックリング
  フランク・レッサー作詞作曲。これも『アンデルセン物語』からで、この映画からはコニー・スティーヴンスがヒットさせた「ワンダフル・コペンハーゲン」も生まれている。ディック&キズは歌も演奏もユーモアたっぷりに展開する。

(9)ゼア・アー・デイズ
フラン・ランズマンが作詞、弾き語りもこなすトミー・ウルフが作曲した作品。キズの歌は、1956年のライヴ・アルバム『ウルフ・アット・ユア・ドア』(フラターニティ)に収録されているウルフ自身の歌より、足が地についている。

(10)ジョーイ・ジョーイ、ジョーイ
 フランク・レッサーの作品だが、1956年のブロードウェイ・ミュージカル『ザ・モースト・ハッピー・フェラ』で紹介された曲。キズは少々エコーをかけて奥行き感を演出している。ディックの絡み方もいい ?

(11)サンクス・フォー・ユー
バーニー・ハニゲンが作詞し、マーヴィン・ライトが作曲した。ジューン・クリスティーがスタン・ケントンのピアノだけで歌ったアルバム『デュエット』(キャピトル)に入っていた。ディックのピアノをたっぷり聴かせたあと、キズがしっとりと歌う。スモーキーなクリスティーに対し、キズのフレージングは輪郭がはっきりしており、違った味わいをみせる。

(12)トゥー・マッチ・イン・ラヴ
キム・ギャノンが作詞、ウォルター・ケントが作曲した1944年の歌。ミュージカル映画『ソング・オブ・ジ・オープン・ロード』(本邦劇場未公開)でジェーン・パウエルが歌って、アカデミー主題歌賞にノミネートされた。受賞したのはビング・クロスビーの「星にスイング」。

(13)ブラック・コーヒー
ポール・フランシス・ウェブスターが1948年にプロデューサーとして名高いソニー・バークと作った作品。最初のレコードはサラ・ヴォーンのミュージクラフト盤だが、ペギー・リーのデッカ盤で親しまれている。この曲だけミュート・トランペットが入る。

(14)カウンティ・フェア
メル・トーメとロバート・ウェルズによる1948年の作品。ふたりは「クリスマス・ソング」を書いたコンビである。この曲ではドラムスが入る。



(2006年6月6日 三具保夫)
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